いつか世界を塗り替えるために — 優しさあれ、となーちゃん&まいまいは寡黙に祈る
すっかり大きなインタヴァルが入っちゃってますが
乃木坂お絵描キスト5人衆を語る「いつか世界を塗り替えるために」シリーズ、
ひっさびさの登場で、今回はなーちゃん(西野七瀬)&まいまい(深川麻衣)に関して。
続き物の予告ノルマが他にもいろいろたまっちゃってるのですが
適宜クリアしていくつもりはあるので、どうかよしなに。
シリーズ・エントリ第1弾にあたる エントリ83 でボクは
「わか&まりっかに近親性があり、なーちゃん&まいまいに近親性があり」と書きました。
純粋にテクニカルに言えば圧倒的に上手いまりっかとなーちゃんを敢えて同列に置かない理由が
同時になーちゃんとまいまいを同列で語る理由ともなります。
なーちゃんとまいまいの絵、および絵描きという行為は、彼女たちの「祈り」というべきものであり
その祈りは「この世界が優しいものであればいいのに」というものだと思うのです。
2人の絵でファンなら誰しも思いつく代表的な例を挙げれば
なーちゃんの「どいやさん」、まいまいの「もちうさ」がありましょうが、
それにとどまらず、またそれと通底するものを感じさせるもので
ボクにとっての「なーちゃん発見」「まいまい発見」のきっかけになったのは、
『乃木坂って、どこ?』第88回「アイドル抜き打ちチェック」の
スケッチブックに描かれた"どいやさんと人間たちの愉快な日常"を想わせるシリーズ漫画の下書き、
後追いで観た第5回「アイドル適性テスト」のカンガルーの親子と架空のペットの絵(なーちゃん)、
第76回「自撮り王決定戦&3月生誕祭」の
小学4年時の詩と高校時代の各種の絵画/デザイン作品(まいまい)
が大きかったのでした。
それらはいずれも「芸能界を夢見、目指す少女」像の範疇内にとどまらない、
それゆえ元々、よりセンシティヴでアーティスティックな、かつどこにでもいる少女の
静かながら心中で燃え続ける広く輝かしい世界への健気な手伸ばしと自己研鑽を感じさせ、
それこそが乃木坂46を既存のアイドル・グループとひと味もふた味も違うものと感じさせる
大きな要因のひとつになったのでした。
なーちゃん&まいまいの描く世界は、いわば
ノンシャランとした、喫緊・死活の問題を何も持っていない、
ゆえに善悪・正誤・優劣を問われることなく生きている生き物の世界です。
お母さんを嚢の中から見上げている赤ちゃんカンガルーは
野生動物というよりは母親の愛を一身に受け疑うことを知らない無垢の生命の象徴で、
個室ドアを持たないトイレに入ったヒト型キャラクターは
「あれっ!?」と驚きながらも別に困ったりはしてなさそうです。
その世界は
ファニーでストレンジな生き物も、人々の間に溶け込んで平和に穏やかに生きていける世界。
ルックス的には異形であってもドタバタやほのぼのな周囲と笑える日常を生きているクリーチャー、
頭を串刺しにされてお皿に並べられてもほのぼのと笑えて死や苦痛とは無縁なクリーチャー。
なーちゃんの「どいやさん」、まいまいの「もちうさ」に典型的に見えるのは
ほんわかふんわりした、危急の問題やサヴァイヴァルや競争のない優しい世界とその住人たち、
そして自分やその友人や家族がそんな世界で生きているんだったらな、という
か弱くも優しく、そしてファンタスティックな理想世界への叶わぬ、でも尽きせぬ願いでしょう。
当たるを幸いとばかりに放たれた凶刃を巻き上げ吹き荒れるような暴風雨が乃木坂46を襲う時
なーちゃんやまいまいが憤りや抗議の声を猛々しく上げることこそありませんが、
そっとゆっくり遠回りの愛情を示し、歯を食いしばったり人知れず涙を流したりしつつ
善意や寛容がやがて攻勢に回るのを信じて静かに待っている、ということはまま見えます。
乃木坂46に限ったことでもありませんが、
そしていわば「親戚筋」のグループ勢力からの「ヲタ形態」の悪しき伝統かもしれませんが、
「乃木坂へのもっとも熾烈なアンチ攻撃は、実は乃木坂ファンを自称する者の中から涌いている」
という奇っ怪な事象が下火になるその時まで
なーちゃんとまいまいの祈りがブレたり汚されたりすることなく続きますよう
微力ながらこのボクも、祈りとしてのエントリをこれからも放ち続けていく所存です。
いつしか限界点に達してどうにも修正の効かないものとなってしまっていたらしき『乃木どこ』は
順当にも幸福なことに仕切り直しのチャンスを得て『乃木坂工事中』として生まれ変わります。
完全な予見こそまだできないものの
それは当然ある種の原点回帰 — メンバーひとりひとりの人間性ゆえの面白さをフィーチャーし
よってもって未だ乃木坂をよく知らないという層に向けても清新な驚きを放つ番組になるでしょう。
「芸能人としての能力」の分野にとどまらない乃木坂メンバー個々の魅力が
今一度天下の人々の心に強く訴え、心臓を捧げるファン層を新たに作り出し
「第二章」「再起動」を後押しするキラー番組になることを願ってやみません。
プライバシー ポリシー
乃木坂お絵描キスト5人衆を語る「いつか世界を塗り替えるために」シリーズ、
ひっさびさの登場で、今回はなーちゃん(西野七瀬)&まいまい(深川麻衣)に関して。
続き物の予告ノルマが他にもいろいろたまっちゃってるのですが
適宜クリアしていくつもりはあるので、どうかよしなに。
シリーズ・エントリ第1弾にあたる エントリ83 でボクは
「わか&まりっかに近親性があり、なーちゃん&まいまいに近親性があり」と書きました。
純粋にテクニカルに言えば圧倒的に上手いまりっかとなーちゃんを敢えて同列に置かない理由が
同時になーちゃんとまいまいを同列で語る理由ともなります。
なーちゃんとまいまいの絵、および絵描きという行為は、彼女たちの「祈り」というべきものであり
その祈りは「この世界が優しいものであればいいのに」というものだと思うのです。
2人の絵でファンなら誰しも思いつく代表的な例を挙げれば
なーちゃんの「どいやさん」、まいまいの「もちうさ」がありましょうが、
それにとどまらず、またそれと通底するものを感じさせるもので
ボクにとっての「なーちゃん発見」「まいまい発見」のきっかけになったのは、
『乃木坂って、どこ?』第88回「アイドル抜き打ちチェック」の
スケッチブックに描かれた"どいやさんと人間たちの愉快な日常"を想わせるシリーズ漫画の下書き、
後追いで観た第5回「アイドル適性テスト」のカンガルーの親子と架空のペットの絵(なーちゃん)、
第76回「自撮り王決定戦&3月生誕祭」の
小学4年時の詩と高校時代の各種の絵画/デザイン作品(まいまい)
が大きかったのでした。
それらはいずれも「芸能界を夢見、目指す少女」像の範疇内にとどまらない、
それゆえ元々、よりセンシティヴでアーティスティックな、かつどこにでもいる少女の
静かながら心中で燃え続ける広く輝かしい世界への健気な手伸ばしと自己研鑽を感じさせ、
それこそが乃木坂46を既存のアイドル・グループとひと味もふた味も違うものと感じさせる
大きな要因のひとつになったのでした。
なーちゃん&まいまいの描く世界は、いわば
ノンシャランとした、喫緊・死活の問題を何も持っていない、
ゆえに善悪・正誤・優劣を問われることなく生きている生き物の世界です。
お母さんを嚢の中から見上げている赤ちゃんカンガルーは
野生動物というよりは母親の愛を一身に受け疑うことを知らない無垢の生命の象徴で、
個室ドアを持たないトイレに入ったヒト型キャラクターは
「あれっ!?」と驚きながらも別に困ったりはしてなさそうです。
その世界は
ファニーでストレンジな生き物も、人々の間に溶け込んで平和に穏やかに生きていける世界。
ルックス的には異形であってもドタバタやほのぼのな周囲と笑える日常を生きているクリーチャー、
頭を串刺しにされてお皿に並べられてもほのぼのと笑えて死や苦痛とは無縁なクリーチャー。
なーちゃんの「どいやさん」、まいまいの「もちうさ」に典型的に見えるのは
ほんわかふんわりした、危急の問題やサヴァイヴァルや競争のない優しい世界とその住人たち、
そして自分やその友人や家族がそんな世界で生きているんだったらな、という
か弱くも優しく、そしてファンタスティックな理想世界への叶わぬ、でも尽きせぬ願いでしょう。
当たるを幸いとばかりに放たれた凶刃を巻き上げ吹き荒れるような暴風雨が乃木坂46を襲う時
なーちゃんやまいまいが憤りや抗議の声を猛々しく上げることこそありませんが、
そっとゆっくり遠回りの愛情を示し、歯を食いしばったり人知れず涙を流したりしつつ
善意や寛容がやがて攻勢に回るのを信じて静かに待っている、ということはまま見えます。
乃木坂46に限ったことでもありませんが、
そしていわば「親戚筋」のグループ勢力からの「ヲタ形態」の悪しき伝統かもしれませんが、
「乃木坂へのもっとも熾烈なアンチ攻撃は、実は乃木坂ファンを自称する者の中から涌いている」
という奇っ怪な事象が下火になるその時まで
なーちゃんとまいまいの祈りがブレたり汚されたりすることなく続きますよう
微力ながらこのボクも、祈りとしてのエントリをこれからも放ち続けていく所存です。
いつしか限界点に達してどうにも修正の効かないものとなってしまっていたらしき『乃木どこ』は
順当にも幸福なことに仕切り直しのチャンスを得て『乃木坂工事中』として生まれ変わります。
完全な予見こそまだできないものの
それは当然ある種の原点回帰 — メンバーひとりひとりの人間性ゆえの面白さをフィーチャーし
よってもって未だ乃木坂をよく知らないという層に向けても清新な驚きを放つ番組になるでしょう。
「芸能人としての能力」の分野にとどまらない乃木坂メンバー個々の魅力が
今一度天下の人々の心に強く訴え、心臓を捧げるファン層を新たに作り出し
「第二章」「再起動」を後押しするキラー番組になることを願ってやみません。
