導かれたんだよね、運命だったと思う、と乃木坂ちゃんは言った その2:かなりん編
はじめに言わずもがなの前置きをひとつ。
乃木坂46のかなりんこと中田花奈ちゃんは、ボクにとって
小雪さん栗山千明ちゃんに通じる「雪女/吸血鬼系のミステリアスで艶っぽい和風美人」系の
元々「好きな顔」のアイドルのひとりです。
採りあげる順番と頻度とトピックがバラバラではあるものの
ボクは多数の乃木坂メンバーが好きで、しかもそれはますます多く/強くなる一方なのです。
「突然なぜかなりん?」と思われる人もいるかもですが
このブログに「突然」なんてことはないのです。
強いて挙げれば「導かれたんだよね、運命だったと思う」シリーズで
かなりんを採りあげたいなと前々から思っててその機が熟した、ってことは言えます。
8/6のお誕生日も近いことですし。
もひとつ一見関係なさそうな話を。
乃木坂ちゃんたちの「お嬢様性」をウンヌンする人がよく見受けられますが
ボクは、
外形的なこれこれ基準によって人をお嬢様/非お嬢様に分け
"誰々はお嬢様だからより優れている"とするような言説を、
乃木坂ちゃんたちががまさに闘ってきた/闘っているところの差別的排除の論理として
唾棄すべきものとみなします。
敢えて乃木坂ちゃんたちの「お嬢様性」を謂うならばむしろ、
損得・勝ち負けでなく理や美や義や情を判断・行動の指針とし
それに依拠した「わたしはわたし」を気高く保持して胸を張る潔さにこそあるでしょう。
閑話休題。本題へ。
所謂「お嬢様」の外形標準はともかくとして
乃木坂46のかなりんこと中田花奈ちゃんは
「どこに出しても恥ずかしくないよくできたお嬢さんだこと!」類型の典型に見えるコです。
『乃木坂って、どこ?』第138回でのルービック・キューブの解法を探る謎の方程式、
第140回の学力テストでななみん(橋本奈々未)を抑えて真夏さん(秋元真夏)と同率1位
にも見られるように、
オーディション合格以前のかなりんの姿としては
万遍なく学校での勉学に励み
高度な理数系の素養を見せる「ちゃんとした女子学生」の姿が浮かびます。
のみならず、文武両道・才色兼備を地でゆくように
第47回の生誕祭VTRでは、中学部活でバトン・トワリングに励む活発で屈託のない姿も見られました。
そんな外から見える少女エリート的な「肩書き」「外づら」的な姿とはある意味真逆に、
かなりんはかなり重症のコアなアイドル・ヲタクであることを公言しており
それを活かした外仕事での活躍も疾うに知られるところです。
自分自身がアイドルとして優に成功できように、
さらにはアイドルなんかにわざわざならなかったとしても
成功した幸福な女子/女性としての心地よくなだらかな人生を優に送っていけただろうに —
そんなところにこそむしろ
かなりんのアイドル道へのモチヴェーションとヴィジョンが見える気がします。
これはボク自身にも根深くある全般論的な嫌悪感とも
世間一般に広く、しかもゆえあって存在する「常識」とも言えますが、
「アイドルになること」が
非常に浮ついてはすっぱな、能力が問われないゆえに楽な、
無責任で無力で独りよがりなオコチャマが他力本願な若気の至りではしかのように求めてしまう
「バカげた進路」とみなされ唾棄されるのは、
あながち間違ってるとも言い切れない絵図です。
とりわけそれは「アイドルとしてのアイドル」「特化された限定的職業領域としてのアイドル」
である場合により顕著です。
スポーツ選手、ミュージシャン、女優、作家、etcが結果的にたまたまアイドル人気をも得てしまう
というのと比べれば
「何にもできないタダの女の子ですが楽して成功した高収入の人気者になりたいんです」
と言ってるのと同然、として「アイドルになること」は軽視されてるわけです。
そして乃木坂46が、乃木坂ちゃんたちがますます確かで広い支持を獲得していってるのは
「何にもできないタダの女の子ですが楽して成功した高収入の人気者になりたいんです」感が薄く
その屈辱性・非社会性・他力本願性からはずっと遠い存在感を自然と放てているがゆえでしょう。
さて、そこでかなりんですよかなりん。
本来的にも外面的にも「ちゃんとした」女子/女性としての面を持つかなりんですが、一方で
「まっとうで優秀で堅実な破綻のない人生」には収まりようのない
ワイルデスト・ドリームが、疾風怒濤のめくるめくパッションの世界が見え、
それがたとえば歌手アイドル、たとえばドラマの中の物語世界だった、
というのがモチヴェーションのコアにあったことでしょう。
記憶に新しいところではフジテレビ『ロストデイズ』に夢中だったというかなりん。 ※1
あの道徳/不道徳を超えたところにあるゾクゾクするようなエロスとスリルと熱情 —
まともな人間のまともな社会では唾棄されるような何かを描くフィクション/アートの領域に
人生/生活/生存上の実利だけでは計れない昂りを感じる人間という生き物のために
「芸事」「芸能」というもの全般が元々あるのだと考えれば、
一部のお嬢様類型の乃木坂ちゃんが芸能界を目指した理由も見える気がするのです。
お嬢様なんかに生まれたかったわけじゃない、
お嬢様に生まれたことが、お嬢様っぽく育ったことが
自分の夢や憧れの枷になるならそんな籠は破り打ち捨ててしまってもいい、
という荒ぶる魂の羽ばたきこそが
かなりんたちの芸能の世界、アイドルの世界へのダイヴであり、
その心にウソやカブレや逃げや若気の至りで済まされない真の何かが感じられたからこそ
親御さんも認めざるを得なかった/認めてくれた、という顛末が推測されます。
かなりんの場合、お父さんからの勧めはあったもののお母さんからは反対されたとのこと。
同性である母親の視点からなら
「ゲーノー界」みたいなところに大事な娘をやりたくないというのももっともな感覚です。
かなりんはその理知的な頭で、そのよかれと思っての心配を受けて一旦は諦めかけるのですが —
詳しい経緯はかなりん自身の見事な文章でお読みいただきましょう。
8/6カナ? | 乃木坂46 中田花奈 公式ブログ
全文を引用したくなる心に敢えて歯止めをかけますが、
「まあ多趣味みたいなとこあったから
やりたいこと考えてたら
いっぱいあって
芸能界とか忘れてたんだよね」
「でもアイドルが好きになって
アイドルのマネしてフリコピしたりして」
「気づいたら泣いてたこともあった」
「こういうのがほんとはやりたかったんだ
って」
の部分に差しかかる度に、ボクはいつも涙を抑えられなくなります。
男のボクには、そして世の親御さんの多くにも解せないであろう
女の子が芸事/ショウビズ/アイドルへと惹かれる理屈抜きの走性と狂おしいまでの想いが
ヘミングウェイ並みのハード・ボイルド文体によって見事に表されています。
アンチのみなさんというのは、とかく自分可愛さだけで物を言うことが多いのですが
こういう文章を読んで時々、泣いて心を洗い流して本気で笑える心を取り戻したほうがいいですね。
乃木坂の戦いは 心の戦い —
この先に待つであろう乃木坂46の、よりプログレッシヴでより遼遠な戦いを想う時、
ボクはそんなフレーズを思い浮かべてしまいます。
その戦いの一端は、世間の、殊に娘を持つ親御さんがたの
芸能/アート領域への志向/進路への偏見と心配に対しての意識革命に関わるものになるでしょう。
乃木坂46の1期生の存在が2期生の親御さんたちへの強力な安心/説得材料になったであろうように
乃木坂が輝けば輝くほど芸能界やアイドル業が「もっともでリーズナブルな選択肢」のひとつとなり
ゆくゆくは芸能界という、眉をひそめられがちなうさんくさげな世界が「正業」のひとつとなる、
みたいな。
ボクの勝手なイメージの中で、れかたん(桜井玲香)、わか(若月佑美)と並んで
「押し殺せない荒ぶる内心のままに籠を抜けて飛び立ったお嬢様」類型を持つかなりんは
乃木坂メンバーの乃木坂に懸ける想いの一面を象徴的に体現する大きな一角であり、
不遇・失意の時期にあってもポジティヴィティと自分を失わない乃木坂らしさの象徴の一角です。
「アイドルはパフォーマンスしてなんぼでしょ! まじで!Ⓒ中田花奈」というスローガンには
「パフォーマンス」の意味範囲において一概には首肯しかねる部分を感じるボクですが、
乃木坂セカンド・ラインがコンパクトに小廻りを利かせて展開するゲリラ戦において
かなりんのパフォーマー/スーパーヴァイザー的な役どころの安定感・信頼性・堅牢性は
乃木坂46全体のますます大きくなる多面展開を支える大きな拠り所の一端でもあるでしょう。
現時点でこそ歌い踊るライヴ・パフォーマンスに心を振り絞って集中注力している彼女ですが、
『デスブログ 劇場版』やアイドル評論家としての外仕事、
なんならこれから来るであろうクイズ番組出演、と
理知と熱情の両面をその「芸」に落としこめるアイドルネスのポテンシャルが十全に花開くのを
ファンのわれわれも心静かに焦らず、かつ熱心に見守っていたいところです。
※1
一例として
まーべらすカナ?697 | 乃木坂46 中田花奈 公式ブログ
「ロストデイズ
今季のドラマの中で一番好きかも」
プライバシー ポリシー
乃木坂46のかなりんこと中田花奈ちゃんは、ボクにとって
小雪さん栗山千明ちゃんに通じる「雪女/吸血鬼系のミステリアスで艶っぽい和風美人」系の
元々「好きな顔」のアイドルのひとりです。
採りあげる順番と頻度とトピックがバラバラではあるものの
ボクは多数の乃木坂メンバーが好きで、しかもそれはますます多く/強くなる一方なのです。
「突然なぜかなりん?」と思われる人もいるかもですが
このブログに「突然」なんてことはないのです。
強いて挙げれば「導かれたんだよね、運命だったと思う」シリーズで
かなりんを採りあげたいなと前々から思っててその機が熟した、ってことは言えます。
8/6のお誕生日も近いことですし。
もひとつ一見関係なさそうな話を。
乃木坂ちゃんたちの「お嬢様性」をウンヌンする人がよく見受けられますが
ボクは、
外形的なこれこれ基準によって人をお嬢様/非お嬢様に分け
"誰々はお嬢様だからより優れている"とするような言説を、
乃木坂ちゃんたちががまさに闘ってきた/闘っているところの差別的排除の論理として
唾棄すべきものとみなします。
敢えて乃木坂ちゃんたちの「お嬢様性」を謂うならばむしろ、
損得・勝ち負けでなく理や美や義や情を判断・行動の指針とし
それに依拠した「わたしはわたし」を気高く保持して胸を張る潔さにこそあるでしょう。
閑話休題。本題へ。
所謂「お嬢様」の外形標準はともかくとして
乃木坂46のかなりんこと中田花奈ちゃんは
「どこに出しても恥ずかしくないよくできたお嬢さんだこと!」類型の典型に見えるコです。
『乃木坂って、どこ?』第138回でのルービック・キューブの解法を探る謎の方程式、
第140回の学力テストでななみん(橋本奈々未)を抑えて真夏さん(秋元真夏)と同率1位
にも見られるように、
オーディション合格以前のかなりんの姿としては
万遍なく学校での勉学に励み
高度な理数系の素養を見せる「ちゃんとした女子学生」の姿が浮かびます。
のみならず、文武両道・才色兼備を地でゆくように
第47回の生誕祭VTRでは、中学部活でバトン・トワリングに励む活発で屈託のない姿も見られました。
そんな外から見える少女エリート的な「肩書き」「外づら」的な姿とはある意味真逆に、
かなりんはかなり重症のコアなアイドル・ヲタクであることを公言しており
それを活かした外仕事での活躍も疾うに知られるところです。
自分自身がアイドルとして優に成功できように、
さらにはアイドルなんかにわざわざならなかったとしても
成功した幸福な女子/女性としての心地よくなだらかな人生を優に送っていけただろうに —
そんなところにこそむしろ
かなりんのアイドル道へのモチヴェーションとヴィジョンが見える気がします。
これはボク自身にも根深くある全般論的な嫌悪感とも
世間一般に広く、しかもゆえあって存在する「常識」とも言えますが、
「アイドルになること」が
非常に浮ついてはすっぱな、能力が問われないゆえに楽な、
無責任で無力で独りよがりなオコチャマが他力本願な若気の至りではしかのように求めてしまう
「バカげた進路」とみなされ唾棄されるのは、
あながち間違ってるとも言い切れない絵図です。
とりわけそれは「アイドルとしてのアイドル」「特化された限定的職業領域としてのアイドル」
である場合により顕著です。
スポーツ選手、ミュージシャン、女優、作家、etcが結果的にたまたまアイドル人気をも得てしまう
というのと比べれば
「何にもできないタダの女の子ですが楽して成功した高収入の人気者になりたいんです」
と言ってるのと同然、として「アイドルになること」は軽視されてるわけです。
そして乃木坂46が、乃木坂ちゃんたちがますます確かで広い支持を獲得していってるのは
「何にもできないタダの女の子ですが楽して成功した高収入の人気者になりたいんです」感が薄く
その屈辱性・非社会性・他力本願性からはずっと遠い存在感を自然と放てているがゆえでしょう。
さて、そこでかなりんですよかなりん。
本来的にも外面的にも「ちゃんとした」女子/女性としての面を持つかなりんですが、一方で
「まっとうで優秀で堅実な破綻のない人生」には収まりようのない
ワイルデスト・ドリームが、疾風怒濤のめくるめくパッションの世界が見え、
それがたとえば歌手アイドル、たとえばドラマの中の物語世界だった、
というのがモチヴェーションのコアにあったことでしょう。
記憶に新しいところではフジテレビ『ロストデイズ』に夢中だったというかなりん。 ※1
あの道徳/不道徳を超えたところにあるゾクゾクするようなエロスとスリルと熱情 —
まともな人間のまともな社会では唾棄されるような何かを描くフィクション/アートの領域に
人生/生活/生存上の実利だけでは計れない昂りを感じる人間という生き物のために
「芸事」「芸能」というもの全般が元々あるのだと考えれば、
一部のお嬢様類型の乃木坂ちゃんが芸能界を目指した理由も見える気がするのです。
お嬢様なんかに生まれたかったわけじゃない、
お嬢様に生まれたことが、お嬢様っぽく育ったことが
自分の夢や憧れの枷になるならそんな籠は破り打ち捨ててしまってもいい、
という荒ぶる魂の羽ばたきこそが
かなりんたちの芸能の世界、アイドルの世界へのダイヴであり、
その心にウソやカブレや逃げや若気の至りで済まされない真の何かが感じられたからこそ
親御さんも認めざるを得なかった/認めてくれた、という顛末が推測されます。
かなりんの場合、お父さんからの勧めはあったもののお母さんからは反対されたとのこと。
同性である母親の視点からなら
「ゲーノー界」みたいなところに大事な娘をやりたくないというのももっともな感覚です。
かなりんはその理知的な頭で、そのよかれと思っての心配を受けて一旦は諦めかけるのですが —
詳しい経緯はかなりん自身の見事な文章でお読みいただきましょう。
8/6カナ? | 乃木坂46 中田花奈 公式ブログ
全文を引用したくなる心に敢えて歯止めをかけますが、
「まあ多趣味みたいなとこあったから
やりたいこと考えてたら
いっぱいあって
芸能界とか忘れてたんだよね」
「でもアイドルが好きになって
アイドルのマネしてフリコピしたりして」
「気づいたら泣いてたこともあった」
「こういうのがほんとはやりたかったんだ
って」
の部分に差しかかる度に、ボクはいつも涙を抑えられなくなります。
男のボクには、そして世の親御さんの多くにも解せないであろう
女の子が芸事/ショウビズ/アイドルへと惹かれる理屈抜きの走性と狂おしいまでの想いが
ヘミングウェイ並みのハード・ボイルド文体によって見事に表されています。
アンチのみなさんというのは、とかく自分可愛さだけで物を言うことが多いのですが
こういう文章を読んで時々、泣いて心を洗い流して本気で笑える心を取り戻したほうがいいですね。
乃木坂の戦いは 心の戦い —
この先に待つであろう乃木坂46の、よりプログレッシヴでより遼遠な戦いを想う時、
ボクはそんなフレーズを思い浮かべてしまいます。
その戦いの一端は、世間の、殊に娘を持つ親御さんがたの
芸能/アート領域への志向/進路への偏見と心配に対しての意識革命に関わるものになるでしょう。
乃木坂46の1期生の存在が2期生の親御さんたちへの強力な安心/説得材料になったであろうように
乃木坂が輝けば輝くほど芸能界やアイドル業が「もっともでリーズナブルな選択肢」のひとつとなり
ゆくゆくは芸能界という、眉をひそめられがちなうさんくさげな世界が「正業」のひとつとなる、
みたいな。
ボクの勝手なイメージの中で、れかたん(桜井玲香)、わか(若月佑美)と並んで
「押し殺せない荒ぶる内心のままに籠を抜けて飛び立ったお嬢様」類型を持つかなりんは
乃木坂メンバーの乃木坂に懸ける想いの一面を象徴的に体現する大きな一角であり、
不遇・失意の時期にあってもポジティヴィティと自分を失わない乃木坂らしさの象徴の一角です。
「アイドルはパフォーマンスしてなんぼでしょ! まじで!Ⓒ中田花奈」というスローガンには
「パフォーマンス」の意味範囲において一概には首肯しかねる部分を感じるボクですが、
乃木坂セカンド・ラインがコンパクトに小廻りを利かせて展開するゲリラ戦において
かなりんのパフォーマー/スーパーヴァイザー的な役どころの安定感・信頼性・堅牢性は
乃木坂46全体のますます大きくなる多面展開を支える大きな拠り所の一端でもあるでしょう。
現時点でこそ歌い踊るライヴ・パフォーマンスに心を振り絞って集中注力している彼女ですが、
『デスブログ 劇場版』やアイドル評論家としての外仕事、
なんならこれから来るであろうクイズ番組出演、と
理知と熱情の両面をその「芸」に落としこめるアイドルネスのポテンシャルが十全に花開くのを
ファンのわれわれも心静かに焦らず、かつ熱心に見守っていたいところです。
※1
一例として
まーべらすカナ?697 | 乃木坂46 中田花奈 公式ブログ
「ロストデイズ
今季のドラマの中で一番好きかも」
