たおやかな震える手で — まいまいのタフな優しさ
乃木坂46のまいまいこと深川麻衣ちゃんは
その得難き素晴らしい人格と人あたりから「聖母」と呼び慣わされています。
まいまいを敬愛する川後P(川後陽菜)の命名の確かさと意図には無論異論はないものの、
ボクはその方面からの賞讃が当のまいまいへのある種の重荷・足かせになってはいまいかと
少し心配になるところもあります。
まいまいの「聖母性」は、実は
完全無欠の聖人君子、天使にして女神にして聖母マリアのそれのようなものだとは思えません。
逆に、ファンのそうした「持ち上げ方」は、まいまいの人となりや意志の力や努力やヴィジョンを
意図せずとはいえ矮小化しかねないものだとさえ思えるのです。
まいまいは聖母として生まれ育ったから聖母であるのではおそらくないでしょう。
他メンバーとも世間一般の女子とも変わるところなく
時に泣き、怒り、しょんぼりし、この世界の残酷さ・ままならなさをも知ってきているはず。
それでも、笑える瞬間、微笑むことのできる瞬間、人を愛し愛される歓びの瞬間の積み重ねを、
ちっちゃな夢や希望が叶う歓びの瞬間の積み重ねを、人並みはずれて大事に貴重に思って生きてきた
サヴァイヴする純な魂 —
その美しさとけなげさ、そして強さゆえに
「聖母」としか形容のしようがない現在のまいまいになったのだと思うのです。
聖母でも聖少女でもなくフツーの10代女子だったであろうまいまいは
そうした10代女子らしい選択肢への試行をいくつか経てきています。
タレント養成スクール、美術系高校でデザイン専攻、服飾系専門学校、
アマチュア/セミプロのモデル仕事、と
フツーの10代女子らしく
美とグラムールとクリエイティヴィティの領域に属する華やかな世界への憧れに基づく
いろんな努力と手伸ばしの時間を数年間にわたって経験しているのですよね。
それらは「無駄」になることこそなかれ「花開く」結果にまでは至っていませんでした。
親御さんから1年限定で許可してもらったという
上京して自活しつつオーディションに臨む、というトライアルの過程で
約5ヶ月の後、念願かなってのプロの「芸能活動」が乃木坂46で始まったわけです。
「後追い」のファンであるボクには自ずと推し量れる限界がありますが、
乃木坂46にもまいまいにも、その航路は順風満帆とんとん拍子なんてものではありませんでした。
初期のブーストこそあれ、数々の謎なプロモーションやステージをもがむしゃらに駆け抜けてきた
乃木坂46、さらにはその「非選抜」メンバーにしてみれば
多くの「谷間」の日々・時間が不審・不信・不安に駆られる「泣きたくなる」ものであったとしても
不思議ではありません。
そんな中、けっして「推されている」「恵まれている」「芸能巧者である」わけでもなかった
まいまいをじわじわと押し上げてきたのは
その優しさと可憐さに気づいたメンバーとファンの地道で静かながら根強い「推し」だったでしょう。
理知の面から頼れるメンバーの筆頭がななみん(橋本奈々未)だとすれば
情の面から頼れるメンバーの筆頭がまいまい、なのだと思われます。
人の悩み苦しみは、時に情けなく子供っぽくエゴイスティックなものです。
そういう情けない部分を、ななみんに、あるいは他のメンバーに相談できない/したくない —
そんな時、
「人の悪いところを受け入れつつ、その人の良いところを探して接しようとする ※1」
とななみんから称揚されるまいまいこそが、唯一頼れる相談相手だということがままあるのだ、
と推測されます。
そうしたメンバーの女の子に癒し・慰めの手で触れる時、
まいまいのその手もまた震えていることでしょう。
どっしり構えた全能の超人間的存在、
神秘的で超自然の力を持つ神の子や聖母ではないまいまいであってみれば、
そのコの悩み苦しむ挫折感・無力感・焦燥感・自己不信等は、自分には縁遠い悩み苦しみではなく
自分も持っている/過去に持ったことのある悩み苦しみであるでしょう。
共感と同情を持って親身に耳を傾け、自分の内なる経験と見識から慰めや助言を繰り出す時、
その辛さを今の自分のもののように疑似体験・追体験するまいまいの心も
相手の心と同じようにヒリヒリと痛みを感じるはずです。
でもその痛みに耐えてでも、そのコに与えてあげたい言葉がある —
聖母と称されるまいまいの優しさは、
そうしたか弱さ・失意と背中合わせの叡智と勇気に裏付けられているからこそ
人の心に届くのだと思います。
いや(笑)、またこうした言説も「聖母性」のプロモーションの屋上屋になっちゃってますね。
未ファンや新規ファン、新規ユーザを考えれば、こうしたわれわれファンのプロモーション —
「乃木坂の深川麻衣ちゃんってどういう魅力があるの?」
「まいまいはねー、とにかく優しい、善い人なのよ!」 — も益なきことでもありますまいが、
次なる新たな別のプロモ方向もいまや必要なのだと思われます。
『乃木坂って、どこ?』第118回の「お尻を見られたい」初夢診断、
第120回の「極上に自分を追い詰める」発言等には
まいまいの心中でもう一歩先への気持ちの胎動が始まっていることが感じられます。
長く地道な登坂を経て9thでは初の「福神」入りを果たしたまいまい、
その眠れる一翼のポテンシャル — 美とグラムールの領域での躍進もまた、期待されるところです。
※1
ナタリー - [Power Push] 乃木坂46「乃木坂って、どこ?」徹底解剖 (5/5) より
橋本奈々未の推しメン:深川麻衣
「メンバーの中でまいまい推しはすごく多いんですよ。私はまいまいと一緒にいることが多いんですけど、いつも『どういう育ち方をしたら、こんなにいい子になるんだろう?』って思うんです。人の悪いところを受け入れつつ、その人の良いところを探して接しようとする子で、私が今まで出会った人の中で一番素敵な人なんじゃないかな。」
プライバシー ポリシー
その得難き素晴らしい人格と人あたりから「聖母」と呼び慣わされています。
まいまいを敬愛する川後P(川後陽菜)の命名の確かさと意図には無論異論はないものの、
ボクはその方面からの賞讃が当のまいまいへのある種の重荷・足かせになってはいまいかと
少し心配になるところもあります。
まいまいの「聖母性」は、実は
完全無欠の聖人君子、天使にして女神にして聖母マリアのそれのようなものだとは思えません。
逆に、ファンのそうした「持ち上げ方」は、まいまいの人となりや意志の力や努力やヴィジョンを
意図せずとはいえ矮小化しかねないものだとさえ思えるのです。
まいまいは聖母として生まれ育ったから聖母であるのではおそらくないでしょう。
他メンバーとも世間一般の女子とも変わるところなく
時に泣き、怒り、しょんぼりし、この世界の残酷さ・ままならなさをも知ってきているはず。
それでも、笑える瞬間、微笑むことのできる瞬間、人を愛し愛される歓びの瞬間の積み重ねを、
ちっちゃな夢や希望が叶う歓びの瞬間の積み重ねを、人並みはずれて大事に貴重に思って生きてきた
サヴァイヴする純な魂 —
その美しさとけなげさ、そして強さゆえに
「聖母」としか形容のしようがない現在のまいまいになったのだと思うのです。
聖母でも聖少女でもなくフツーの10代女子だったであろうまいまいは
そうした10代女子らしい選択肢への試行をいくつか経てきています。
タレント養成スクール、美術系高校でデザイン専攻、服飾系専門学校、
アマチュア/セミプロのモデル仕事、と
フツーの10代女子らしく
美とグラムールとクリエイティヴィティの領域に属する華やかな世界への憧れに基づく
いろんな努力と手伸ばしの時間を数年間にわたって経験しているのですよね。
それらは「無駄」になることこそなかれ「花開く」結果にまでは至っていませんでした。
親御さんから1年限定で許可してもらったという
上京して自活しつつオーディションに臨む、というトライアルの過程で
約5ヶ月の後、念願かなってのプロの「芸能活動」が乃木坂46で始まったわけです。
「後追い」のファンであるボクには自ずと推し量れる限界がありますが、
乃木坂46にもまいまいにも、その航路は順風満帆とんとん拍子なんてものではありませんでした。
初期のブーストこそあれ、数々の謎なプロモーションやステージをもがむしゃらに駆け抜けてきた
乃木坂46、さらにはその「非選抜」メンバーにしてみれば
多くの「谷間」の日々・時間が不審・不信・不安に駆られる「泣きたくなる」ものであったとしても
不思議ではありません。
そんな中、けっして「推されている」「恵まれている」「芸能巧者である」わけでもなかった
まいまいをじわじわと押し上げてきたのは
その優しさと可憐さに気づいたメンバーとファンの地道で静かながら根強い「推し」だったでしょう。
理知の面から頼れるメンバーの筆頭がななみん(橋本奈々未)だとすれば
情の面から頼れるメンバーの筆頭がまいまい、なのだと思われます。
人の悩み苦しみは、時に情けなく子供っぽくエゴイスティックなものです。
そういう情けない部分を、ななみんに、あるいは他のメンバーに相談できない/したくない —
そんな時、
「人の悪いところを受け入れつつ、その人の良いところを探して接しようとする ※1」
とななみんから称揚されるまいまいこそが、唯一頼れる相談相手だということがままあるのだ、
と推測されます。
そうしたメンバーの女の子に癒し・慰めの手で触れる時、
まいまいのその手もまた震えていることでしょう。
どっしり構えた全能の超人間的存在、
神秘的で超自然の力を持つ神の子や聖母ではないまいまいであってみれば、
そのコの悩み苦しむ挫折感・無力感・焦燥感・自己不信等は、自分には縁遠い悩み苦しみではなく
自分も持っている/過去に持ったことのある悩み苦しみであるでしょう。
共感と同情を持って親身に耳を傾け、自分の内なる経験と見識から慰めや助言を繰り出す時、
その辛さを今の自分のもののように疑似体験・追体験するまいまいの心も
相手の心と同じようにヒリヒリと痛みを感じるはずです。
でもその痛みに耐えてでも、そのコに与えてあげたい言葉がある —
聖母と称されるまいまいの優しさは、
そうしたか弱さ・失意と背中合わせの叡智と勇気に裏付けられているからこそ
人の心に届くのだと思います。
いや(笑)、またこうした言説も「聖母性」のプロモーションの屋上屋になっちゃってますね。
未ファンや新規ファン、新規ユーザを考えれば、こうしたわれわれファンのプロモーション —
「乃木坂の深川麻衣ちゃんってどういう魅力があるの?」
「まいまいはねー、とにかく優しい、善い人なのよ!」 — も益なきことでもありますまいが、
次なる新たな別のプロモ方向もいまや必要なのだと思われます。
『乃木坂って、どこ?』第118回の「お尻を見られたい」初夢診断、
第120回の「極上に自分を追い詰める」発言等には
まいまいの心中でもう一歩先への気持ちの胎動が始まっていることが感じられます。
長く地道な登坂を経て9thでは初の「福神」入りを果たしたまいまい、
その眠れる一翼のポテンシャル — 美とグラムールの領域での躍進もまた、期待されるところです。
※1
ナタリー - [Power Push] 乃木坂46「乃木坂って、どこ?」徹底解剖 (5/5) より
橋本奈々未の推しメン:深川麻衣
「メンバーの中でまいまい推しはすごく多いんですよ。私はまいまいと一緒にいることが多いんですけど、いつも『どういう育ち方をしたら、こんなにいい子になるんだろう?』って思うんです。人の悪いところを受け入れつつ、その人の良いところを探して接しようとする子で、私が今まで出会った人の中で一番素敵な人なんじゃないかな。」
