生駒ちゃんの知らない生駒ちゃんの武器
「約1年」は続くはずの兼任「事変」ですが、びっくりするくらいに淡々と
乃木坂ちゃんたちのタフな賢さによって超克され
まるで「あれっ?もう終わってるんだっけ?」と思っちゃうくらい通常運転な今日この頃。
「音楽的」には実にAKBG流で乃木坂色のカケラもない9th表題曲
「夏のFree & Easy」にがっかりさせられたとしても
乃木坂46に対する忠心はいささかも損なわれないというファンが多いことと思われます。
でもボクは、その辺の話とはまったくの別口で
生駒ちゃん(生駒里奈)の"武器がない"絡みの発言を見聞きするたびに胸が張り裂ける想いがします。
「他にどんな『武器』が要るっていうの?生駒ちゃんは生駒ちゃんじゃない!?」という
ファン・他メンバーからの衷心からの呼びかけさえも功を奏さない —
それほどまでに生駒ちゃんの傷心と自己不信・自信喪失は大きいのだろうか?
アンチのみなさんは無論、乃木坂ファンを自認・自称する人も他人事でなく考慮すべき疑問でしょう。
あなたの「推しメン」がそういう苦悩に陥った時、あなたはそれを「自業自得、しょうがないやね」と
そのメンバーを見捨て諦めるのでしょうか?
「生駒ちゃんが『落ち』れば、まいまい(みさみさ、ひなちま、あしゅ、琴子...)が上がれる」と?
乃木坂46というグループは果たしてそういうものでしたかね?
生駒ちゃんの辛そうでキツそうな心情は、たとえば次のような部分に表れています。
・設楽氏「出るからには上目指さないとね?」
生駒 「なんかそこが、わたしの立場では何も言えないんですよね...」
設楽氏「はじめ知らなかったんでしょ、これ、ね?」
生駒 「んー... 喋れない...」
『乃木坂って、どこ?』第136回「生駒里奈 選抜総選挙への道」より
・乃木坂46 生駒里奈 公式ブログ より
プリンシパル二日目 ヽ(・∀・)ノ
「なんか私、プリンシパルまだ三回しかやってないけど、
気づいた。
私自分を出すことが難しくなってるって。
自由に無邪気な私の本当の姿が確かにあった筈なのに。
今は何故か出ないんだ〜。。。
って自分で無邪気とか言うなっ←
あと出したとしてもあまり良く思われなかった懐かしいセンター時代笑
プリンシパルでもいろいろな事件的なものが多々ありました笑」
プリンシパル4日目!
「ほんと最近自分を出そうとすると意地でも出さない自分がいる。
いつからだろうか〜
てか前も書いたかこんなこと。」
プリンシパル6日目 ヽ(・∀・)ノ
「どんどん自分のどこがいい武器になるとか分からなくなって来ました!!」
最強の「ホーム」であるはずの『乃木どこ』でも気軽に発言できなくなっている生駒ちゃんが窺えます。
気丈にシャレめかしておちゃらかして混ぜっ返すようなブログでの文体も
アイドルネスの最低限の発露/アイドルのパフォーマンス上の最低限の礼儀・配慮ゆえのもの
でありましょうが、
物事の表層の奥に真実を見ようという姿勢を持つ人なら誰しもそこに
50代の大学教授であっても跳ね返すのが難しいほどの高圧下の苦悩を読み取れるでしょう。
端的には、
生駒ちゃん自身が他メンバーのそれぞれの「武器」を度ごとに痛感して
翻って顧みて「じゃあわたしの武器は何だろう?」と思い悩むのも分からなくはないんですよ。
ピアノができる、歌が上手い、バレエができる、絵が上手い、文才がある、演技が上手い... ...
それこそ43x1.2〜2.5くらいに存在する乃木坂ちゃんたちの見えやすい「武器」を数え上げてみれば
生駒ちゃんが、分かりやすい自分の「武器」としてたとえばダンスを自分なりのリストに挙げ
なおかつそこに不安 — でもこの「ダンス」がそれほどのものかな? — を感じたとしても
不思議ではないです。
でもよくよく鑑みてみれば、どのメンバーのどんな「武器」だって
直接「芸能」のフィールドで、効果を発揮できているわけでも、必ずできるわけでもない。
「武器」はあったらあったでそれに越したことはないけれども
それのみによってそのコのアイドルネスがどうこうなるものでもないんですよね。
希望の種は実をいえばいろんなところに見え隠れしていて、それが視界に入りさえすればいいのです。
生駒ちゃん自身の視界、そしてファン/一般世間の、ぼ〜っと漫然と物を見てる視界に。
直近のほんの一例に、たとえばこんなエピソード —
『乃木坂って、どこ?』第138回の冒頭、AKB48総選挙14位入選を受けてのVTR。
「感謝します、しますっていうか、感謝しています」と発言した生駒ちゃんの隣で
ななみん(橋本奈々未)は一瞬吹きそうになり、ぷくっとフグ顔でそれを堪えていました。
その心の動きはたとえばこういうものでしょう —
(生駒ちゃんったら。「します」も「しています」も変わんないよ?
ファンのみなさんだったらどっちだって同じに、ちゃんと分かってくれてるよ?
そんなに気を遣ってたら疲れちゃうよ?でもそういうとこも実に生駒ちゃんらしいね)
たとえもし生駒ちゃんに、いやさ乃木坂メンバーの他の誰であっても
「才」「才能」「特技」「武器」といえるものがひとつたりともなかったとしても
そのコがそのコであるというだけで、もう乃木坂メンバーである意義は疾うに端からあるのです。
生駒ちゃんが生駒ちゃんであるがゆえの独自の美徳は
まず誰よりも乃木坂メンバーが知っていることであり、
それはもうそれだけで乃木坂46が天下を目指すための必要を満たしているはずなのです。
「そんなことでは足りないのでは?」とそれでも生駒ちゃんが問うとしたら
ボクだったら「賢さ」「人間力」こそ彼女の最大の失われ得ない「武器」だと伝えるでしょう。
学校のお勉強的な意味でとは異なる意味で、乃木坂ちゃんたちはいずれも賢く頭が良い。
何よりそれは、人と人の触れ合い、人の間での人の営みに関する領域での理解力と感受性の高さ —
乱暴に一言でまとめてしまえば「人間力」ってやつに依拠する賢さです。
リアル紙、ウェブ上、テレビ/ラジオで流れては消える時間、
乃木坂ちゃんたちの仕事から、いずれにおいてもわれわれに伝わってくるのは
その「場」の、時には見ず知らずの初対面の「ホスト」側の大人のプロの方々と
1対1の人間同士として、最大限の誠実さと真実性への志向を以て
しっかりと何かを語ろう伝えようとする乃木坂ちゃんたちの姿です。
それはほぼ例外なく、仕事上の成否・獲れ高・損得に関係なく
プロの方々に「やってよかった、この仕事でこのコたちに出くわせてよかった」という想いを残し
浅かれ深かれ「乃木坂派」勢力を拡げる結果となっていることでしょう。
ちっぽけな、大して多くの人の目には触れない、どうってことないいちお仕事 —
乃木坂ちゃんたちがそんな風な侮りから手を抜くことはありません。
またまたほんの一例として、ボクが最近出くわしたとあるウェブ・ページを挙げてみます —
乃木坂46の生駒里奈ちゃん(16)に「働くこと」について相談してきた - 草彅洋平(東京ピストル) | HOUYHNHNM(フイナム)
2012年8月17日付けのこの記事で、3rdシングル発売前の当時16才の生駒ちゃんは
ビジネス全般に関しての、基本にして王道にしてしかも妙手のベースとなる「心構え」の点から
驚くほど大人っぽくしっかりした、しかも消費者/発信者双方目線の論を提示しています。
微笑ましさと鋭い知的興奮の交錯するこうしたインタヴュー記事は
生駒ちゃんがたとえ乃木坂メンバーでなかったとしても、芸能人でなかったとしても
触れ合う人、向き合う人に必然的に伝わる、伝わらずには終わらない「人間力」の発露を示す好例で、
そうした「力」こそが、乃木坂46を独自性あふれる魅力的なアイドル・グループとして
明示的・非明示的問わず世間一般の非乃木坂ファン・非アイドルファンを徐々に惹き付けてきた
最大の原動力であったはず、そして今でもそうあり続けているはずなのです。
「アイドルの能力」「アイドルのアイドル力」とは何なのか?
何でもいい、んじゃないでしょうかね?あるものなら全て、何でもよし、何でも歓迎、で。
練習/訓練/鍛錬で手に入るもんだったら適宜/随時手に入れ伸ばしていく、で。
「アイドル」は専門の女優でも専門のモデルでも専門の芸人でも専門の歌手でもないのですから。
ドルヲタだろうが「一般」の「フツー」の人だろうが
つまらないものはつまらない、つまらないものには時間も精神力もカネも遣いたくない。
つまるもの:面白く興味深く楽しくかわいく力強いものなら観たい、聴きたい、時間を費やしたい。
つまる/つまらないの判断に於いて、専門か、能力が評価が上からどの辺りにあるか、
なんて基準で物を見てる人なんていないんですし。
ボク個人は、相変わらず乃木坂46が「つまるもの」であり続けてるから目を向け続けています。
そして生駒ちゃんは、ボクにとって乃木坂が「つまるもの」である理由の大きな一因なのだから
「武器」のある/なし、「武器」が通用する/しない、「武器」が研ぎすまされている/いない
なんて問いは、実は最初っからイエス、イエス、イエス、
すべての種類のイエスでしか返しようのないものなんですよね。
さらに言えば、アイドルの最大の「武器」は
そのコが14年なり23年なり、そのコならではの生き方をしてきた、その在り方にこそある、
と言えるものだと思いますし。
劉備 「天下のためにゃおいらが死んじまうのが一番いいってかい?」
「ああ そういや蒯越どんも言ってたよなあ」
「これ以上乱世を騒がせんなってさあ」
諸葛亮の使い「然り然り それはまさしく天意というもの」
劉備 「けどよぉ もうちょい別の天意があったんじゃなかったっけ」
—『蒼天航路』その二百二十 より
おそらくはそれはもう超克されつつあることと思えるのですが、
生駒ちゃんにとっての最大の精神的危機は
「乃木坂46のためには自分がいなくなるほうがいいんじゃないかな、
自分がいない乃木坂46のほうが世間の多くの人々に受け入れられやすいんじゃないかな」
という、アンチや半アンチ化ファンがまことしやかに吹きこんでくる一理ありそげな妄言に
生駒ちゃん自身や「運営」やファンまでもが惑わされてしまうという状況にあったでしょう。
ですが、従来からの、早くからの軍師/猛将たちに加えて
まいやん(白石麻衣)という新たなる軍師/猛将が名乗りを挙げることにより
そうした状況もまた大きくターンしつつあります。
縁起でもないことを敢えて言えば
この「実験」的兼任期間のあと8ヶ月かそこら(?)、乃木坂46のプロダクト/パフォーマンスが
クオリティガタ落ちで多くの従来ファンから見限られ、新規未ファン・ユーザも増えない、
そんなことだってあり得るかもしれませんよ。
でもそれはもう、生駒ちゃん単体で負うべき/負える責任ではありますまい。
多くのメンバーはもうそこにしっかり気づいているはずです。
だから乃木坂組はヤワじゃねえ。
たった半年、たった1年前後、シングル表題曲での「不作」の時期がたとえあったとしても
乃木坂メンバーが変わらずそこに生きて在る限りは、何にも怖いものなんてないのです。
生駒ちゃんの苦悩は、彼女がいわば乃木坂の「トップランナー」「切り込み隊長」であったがゆえの
他メンバーが未だ対峙する必要のなかった種類の苦悩、だと思うのです。
われわれファンは、殊に「心臓を捧げ」たファンなら
乃木坂ちゃんたちが、まるでサイヤ人のように、苦悩や挫折感を味わいそれを克服するごとに
より強く輝ける存在として復活することを知ってきているのですから、
たとえ「文句」があったとしても強い心でそれを飲み込み、機にあたっては相応しい讃辞を発する、
そういうことを自分のこととして心懸けるべきだと思うのです。
それが「乃木坂が好き」ということなんじゃないですかね?
プライバシー ポリシー
乃木坂ちゃんたちのタフな賢さによって超克され
まるで「あれっ?もう終わってるんだっけ?」と思っちゃうくらい通常運転な今日この頃。
「音楽的」には実にAKBG流で乃木坂色のカケラもない9th表題曲
「夏のFree & Easy」にがっかりさせられたとしても
乃木坂46に対する忠心はいささかも損なわれないというファンが多いことと思われます。
でもボクは、その辺の話とはまったくの別口で
生駒ちゃん(生駒里奈)の"武器がない"絡みの発言を見聞きするたびに胸が張り裂ける想いがします。
「他にどんな『武器』が要るっていうの?生駒ちゃんは生駒ちゃんじゃない!?」という
ファン・他メンバーからの衷心からの呼びかけさえも功を奏さない —
それほどまでに生駒ちゃんの傷心と自己不信・自信喪失は大きいのだろうか?
アンチのみなさんは無論、乃木坂ファンを自認・自称する人も他人事でなく考慮すべき疑問でしょう。
あなたの「推しメン」がそういう苦悩に陥った時、あなたはそれを「自業自得、しょうがないやね」と
そのメンバーを見捨て諦めるのでしょうか?
「生駒ちゃんが『落ち』れば、まいまい(みさみさ、ひなちま、あしゅ、琴子...)が上がれる」と?
乃木坂46というグループは果たしてそういうものでしたかね?
生駒ちゃんの辛そうでキツそうな心情は、たとえば次のような部分に表れています。
・設楽氏「出るからには上目指さないとね?」
生駒 「なんかそこが、わたしの立場では何も言えないんですよね...」
設楽氏「はじめ知らなかったんでしょ、これ、ね?」
生駒 「んー... 喋れない...」
『乃木坂って、どこ?』第136回「生駒里奈 選抜総選挙への道」より
・乃木坂46 生駒里奈 公式ブログ より
プリンシパル二日目 ヽ(・∀・)ノ
「なんか私、プリンシパルまだ三回しかやってないけど、
気づいた。
私自分を出すことが難しくなってるって。
自由に無邪気な私の本当の姿が確かにあった筈なのに。
今は何故か出ないんだ〜。。。
って自分で無邪気とか言うなっ←
あと出したとしてもあまり良く思われなかった懐かしいセンター時代笑
プリンシパルでもいろいろな事件的なものが多々ありました笑」
プリンシパル4日目!
「ほんと最近自分を出そうとすると意地でも出さない自分がいる。
いつからだろうか〜
てか前も書いたかこんなこと。」
プリンシパル6日目 ヽ(・∀・)ノ
「どんどん自分のどこがいい武器になるとか分からなくなって来ました!!」
最強の「ホーム」であるはずの『乃木どこ』でも気軽に発言できなくなっている生駒ちゃんが窺えます。
気丈にシャレめかしておちゃらかして混ぜっ返すようなブログでの文体も
アイドルネスの最低限の発露/アイドルのパフォーマンス上の最低限の礼儀・配慮ゆえのもの
でありましょうが、
物事の表層の奥に真実を見ようという姿勢を持つ人なら誰しもそこに
50代の大学教授であっても跳ね返すのが難しいほどの高圧下の苦悩を読み取れるでしょう。
端的には、
生駒ちゃん自身が他メンバーのそれぞれの「武器」を度ごとに痛感して
翻って顧みて「じゃあわたしの武器は何だろう?」と思い悩むのも分からなくはないんですよ。
ピアノができる、歌が上手い、バレエができる、絵が上手い、文才がある、演技が上手い... ...
それこそ43x1.2〜2.5くらいに存在する乃木坂ちゃんたちの見えやすい「武器」を数え上げてみれば
生駒ちゃんが、分かりやすい自分の「武器」としてたとえばダンスを自分なりのリストに挙げ
なおかつそこに不安 — でもこの「ダンス」がそれほどのものかな? — を感じたとしても
不思議ではないです。
でもよくよく鑑みてみれば、どのメンバーのどんな「武器」だって
直接「芸能」のフィールドで、効果を発揮できているわけでも、必ずできるわけでもない。
「武器」はあったらあったでそれに越したことはないけれども
それのみによってそのコのアイドルネスがどうこうなるものでもないんですよね。
希望の種は実をいえばいろんなところに見え隠れしていて、それが視界に入りさえすればいいのです。
生駒ちゃん自身の視界、そしてファン/一般世間の、ぼ〜っと漫然と物を見てる視界に。
直近のほんの一例に、たとえばこんなエピソード —
『乃木坂って、どこ?』第138回の冒頭、AKB48総選挙14位入選を受けてのVTR。
「感謝します、しますっていうか、感謝しています」と発言した生駒ちゃんの隣で
ななみん(橋本奈々未)は一瞬吹きそうになり、ぷくっとフグ顔でそれを堪えていました。
その心の動きはたとえばこういうものでしょう —
(生駒ちゃんったら。「します」も「しています」も変わんないよ?
ファンのみなさんだったらどっちだって同じに、ちゃんと分かってくれてるよ?
そんなに気を遣ってたら疲れちゃうよ?でもそういうとこも実に生駒ちゃんらしいね)
たとえもし生駒ちゃんに、いやさ乃木坂メンバーの他の誰であっても
「才」「才能」「特技」「武器」といえるものがひとつたりともなかったとしても
そのコがそのコであるというだけで、もう乃木坂メンバーである意義は疾うに端からあるのです。
生駒ちゃんが生駒ちゃんであるがゆえの独自の美徳は
まず誰よりも乃木坂メンバーが知っていることであり、
それはもうそれだけで乃木坂46が天下を目指すための必要を満たしているはずなのです。
「そんなことでは足りないのでは?」とそれでも生駒ちゃんが問うとしたら
ボクだったら「賢さ」「人間力」こそ彼女の最大の失われ得ない「武器」だと伝えるでしょう。
学校のお勉強的な意味でとは異なる意味で、乃木坂ちゃんたちはいずれも賢く頭が良い。
何よりそれは、人と人の触れ合い、人の間での人の営みに関する領域での理解力と感受性の高さ —
乱暴に一言でまとめてしまえば「人間力」ってやつに依拠する賢さです。
リアル紙、ウェブ上、テレビ/ラジオで流れては消える時間、
乃木坂ちゃんたちの仕事から、いずれにおいてもわれわれに伝わってくるのは
その「場」の、時には見ず知らずの初対面の「ホスト」側の大人のプロの方々と
1対1の人間同士として、最大限の誠実さと真実性への志向を以て
しっかりと何かを語ろう伝えようとする乃木坂ちゃんたちの姿です。
それはほぼ例外なく、仕事上の成否・獲れ高・損得に関係なく
プロの方々に「やってよかった、この仕事でこのコたちに出くわせてよかった」という想いを残し
浅かれ深かれ「乃木坂派」勢力を拡げる結果となっていることでしょう。
ちっぽけな、大して多くの人の目には触れない、どうってことないいちお仕事 —
乃木坂ちゃんたちがそんな風な侮りから手を抜くことはありません。
またまたほんの一例として、ボクが最近出くわしたとあるウェブ・ページを挙げてみます —
乃木坂46の生駒里奈ちゃん(16)に「働くこと」について相談してきた - 草彅洋平(東京ピストル) | HOUYHNHNM(フイナム)
2012年8月17日付けのこの記事で、3rdシングル発売前の当時16才の生駒ちゃんは
ビジネス全般に関しての、基本にして王道にしてしかも妙手のベースとなる「心構え」の点から
驚くほど大人っぽくしっかりした、しかも消費者/発信者双方目線の論を提示しています。
微笑ましさと鋭い知的興奮の交錯するこうしたインタヴュー記事は
生駒ちゃんがたとえ乃木坂メンバーでなかったとしても、芸能人でなかったとしても
触れ合う人、向き合う人に必然的に伝わる、伝わらずには終わらない「人間力」の発露を示す好例で、
そうした「力」こそが、乃木坂46を独自性あふれる魅力的なアイドル・グループとして
明示的・非明示的問わず世間一般の非乃木坂ファン・非アイドルファンを徐々に惹き付けてきた
最大の原動力であったはず、そして今でもそうあり続けているはずなのです。
「アイドルの能力」「アイドルのアイドル力」とは何なのか?
何でもいい、んじゃないでしょうかね?あるものなら全て、何でもよし、何でも歓迎、で。
練習/訓練/鍛錬で手に入るもんだったら適宜/随時手に入れ伸ばしていく、で。
「アイドル」は専門の女優でも専門のモデルでも専門の芸人でも専門の歌手でもないのですから。
ドルヲタだろうが「一般」の「フツー」の人だろうが
つまらないものはつまらない、つまらないものには時間も精神力もカネも遣いたくない。
つまるもの:面白く興味深く楽しくかわいく力強いものなら観たい、聴きたい、時間を費やしたい。
つまる/つまらないの判断に於いて、専門か、能力が評価が上からどの辺りにあるか、
なんて基準で物を見てる人なんていないんですし。
ボク個人は、相変わらず乃木坂46が「つまるもの」であり続けてるから目を向け続けています。
そして生駒ちゃんは、ボクにとって乃木坂が「つまるもの」である理由の大きな一因なのだから
「武器」のある/なし、「武器」が通用する/しない、「武器」が研ぎすまされている/いない
なんて問いは、実は最初っからイエス、イエス、イエス、
すべての種類のイエスでしか返しようのないものなんですよね。
さらに言えば、アイドルの最大の「武器」は
そのコが14年なり23年なり、そのコならではの生き方をしてきた、その在り方にこそある、
と言えるものだと思いますし。
劉備 「天下のためにゃおいらが死んじまうのが一番いいってかい?」
「ああ そういや蒯越どんも言ってたよなあ」
「これ以上乱世を騒がせんなってさあ」
諸葛亮の使い「然り然り それはまさしく天意というもの」
劉備 「けどよぉ もうちょい別の天意があったんじゃなかったっけ」
—『蒼天航路』その二百二十 より
おそらくはそれはもう超克されつつあることと思えるのですが、
生駒ちゃんにとっての最大の精神的危機は
「乃木坂46のためには自分がいなくなるほうがいいんじゃないかな、
自分がいない乃木坂46のほうが世間の多くの人々に受け入れられやすいんじゃないかな」
という、アンチや半アンチ化ファンがまことしやかに吹きこんでくる一理ありそげな妄言に
生駒ちゃん自身や「運営」やファンまでもが惑わされてしまうという状況にあったでしょう。
ですが、従来からの、早くからの軍師/猛将たちに加えて
まいやん(白石麻衣)という新たなる軍師/猛将が名乗りを挙げることにより
そうした状況もまた大きくターンしつつあります。
縁起でもないことを敢えて言えば
この「実験」的兼任期間のあと8ヶ月かそこら(?)、乃木坂46のプロダクト/パフォーマンスが
クオリティガタ落ちで多くの従来ファンから見限られ、新規未ファン・ユーザも増えない、
そんなことだってあり得るかもしれませんよ。
でもそれはもう、生駒ちゃん単体で負うべき/負える責任ではありますまい。
多くのメンバーはもうそこにしっかり気づいているはずです。
だから乃木坂組はヤワじゃねえ。
たった半年、たった1年前後、シングル表題曲での「不作」の時期がたとえあったとしても
乃木坂メンバーが変わらずそこに生きて在る限りは、何にも怖いものなんてないのです。
生駒ちゃんの苦悩は、彼女がいわば乃木坂の「トップランナー」「切り込み隊長」であったがゆえの
他メンバーが未だ対峙する必要のなかった種類の苦悩、だと思うのです。
われわれファンは、殊に「心臓を捧げ」たファンなら
乃木坂ちゃんたちが、まるでサイヤ人のように、苦悩や挫折感を味わいそれを克服するごとに
より強く輝ける存在として復活することを知ってきているのですから、
たとえ「文句」があったとしても強い心でそれを飲み込み、機にあたっては相応しい讃辞を発する、
そういうことを自分のこととして心懸けるべきだと思うのです。
それが「乃木坂が好き」ということなんじゃないですかね?
