運営よ、戦いは心胆にあるぞ
徐栄「曹操!この徐栄にいかなる蛮勇か!!」
曹操「徐栄よ 戦いは心胆にあるぞ!」
— 『蒼天航路』その六十 より
乃木坂46の愛でるべき美しさの要因のひとつに
潔く力強い、しかも軽やかでシャレの利いた「戦い」の絵図があります。
その戦いは主に心胆の領域で戦われ、
われわれファンや一般世間には、いわば「上澄み」だけがかろうじて見えるにとどまります。
乃木坂メンバーの中でも殊に「理知派」というべき勇将2人 —
ななみん(橋本奈々未)といくちゃん(生田絵梨花)は
その心胆の戦いを苛烈に、しかも軽やかに戦う代表と言えましょう。
ここでは、ご当人たちの迷惑にならない程度を配慮しつつ
未ファン非ファン新規ファン、さらにはアンチに向けても
その戦いの絵図とダイナミクスを語ってみましょう。
(まあ、一介のファンのブログでの戯言ごときは「不利な証言」になんかならないですけどね)
「見苦しい」—
他者に対して使われれば並々ならぬ侮蔑として働くこの文言を
奈々未先生はいわゆる「USJ騒動」の際のブログで使っていました。 ※1
「こういう問題に自ら言及するのも見苦しいと承知した上で」と自分の弁明行為を腐すていであれ、
ななみんの矛先はすべての見苦しきものに向けられていましょう —
芸能人の「スキャンダル」が大好きな世間、
「ファン」を自認・自称する割にはすぐさま浮き足立つ幻想恋愛者・アンチ候補生、
「バカッター」で名を上げんとするヒマを持て余した匿名一般人、
そういうメンタリティ、そういう空騒ぎ、そういう社会的ポルノグラフィへの飢えをも
糧にせずには成立しないらしき所詮はゲーノー界、ゲーノー仕事...
そんなものまで認めて入ってきたわけではない奈々未先生にしてみれば
そういった状況のすべてがアホらしく無益で時間のムダで見苦しい。
ゆえに「私ももう、このような記事はあげません。」と最後通牒を突きつけたななみんは
その「ファン」に向けても逆説的に語っているでしょう —
「『ファン』であると言うのなら、わたしの、わたしたちの『仕事』を見てくれない?
乃木坂46のメンバーであるからといって、芸能ドロイドなんかになった覚えはない」と。
「運営」が動かねばメンバーが自ら動く。
「運営」を頼りにしていたって「泣かされる」のは結局メンバー自身、
だったらもう最初っから「運営」抜きでも自立・自律の効く自分であらねば —
不可視のバック・グラウンドで育まれていたであろう不退転の意志が
輝かしく眩しくシャレも利いた勝利の凱歌となったニッチながら特筆すべき瞬間でした。
ま〜〜〜ったくカンケーない唐突な話(?)ですが、
ボクは2011/03/11の「震災」を天災1割人災9割と考えている者です。
あれがもし単純に天災にとどまるものであったなら
2次3次の不幸も悪行も不公正もなく、もっと迅速でポジティヴな「復興」が可能だったでしょう。
他人の内心を推し量るのは、ある意味不遜なこととはいえ、
ボクはいくちゃんとななみんの2014年3月のブログにむしろシンパシーを感じます。
なんなら80行や160行にわたる文章を書くか、それとも書かないか —
「書かない」を選ぶことが最低限の「誠実さ」に繋がる、そんな心胆を感じるのです。
とあるひとつの脱退騒ぎはファンの記憶にもまだ新しいところですが、
虚実定かならぬデータや見解はただのイエロー・ジャーナリズムにしかならぬものです。
ボクはむしろ、3/22当日のブログ記事の存在および非存在にこそ、上記と同様の心胆を感じます。
残る者が残り、去る者は去る。
メンバーの集合体としての「生身の」乃木坂46が変わらず在る限りにおいては
何があっても乃木坂組はヤワじゃねえ。
そのことは2014年4月に始まった怒濤のゲリラ戦の数々でも証明されていると言えるでしょう。
社会常識的マナーを知らぬ「ゆとり」だけが沸き立つ4/13のような「プチ炎上騒ぎ」をも含めて
しかもそれを物ともせず、乃木坂46の快進撃は野火のようにそのフィールドを拡げています。
向かい風さえもが追い風になるような見事な心胆の戦いの結果です。
それらが拡大していく先には、天の理に懸け人の理と心に訴える更に遼遠な戦いがあるでしょう。
アンチでもプローでもない「一般」の、これから乃木坂ファンになるかもしれない人々は
乃木坂46にあるいは浅く好感を持ち、あるいはより深く知りたいと思う。
その時、つくりごとでない生身の姿をつまびらかに見せても、ますますその人を魅了してしまう —
それが乃木坂46というアイドル・グループの比類なきポテンシャルでしょう。
中でも、「有事」の際には義侠の憤りを怯むことなく掲げるななみんといくちゃんは
乃木坂の理と智を背負って矢面に立つ代表格であり、
従来のお仕着せのアイドルネスを遥かに凌駕する本物の新しいアイドルネスをコワモテに提示し
「こういうのは嫌い?こういうのはアイドルらしくない?でもこれがわたしなんだけど!」と
大胆に天下に問いかけているのです。
世の臥龍たちとの何十年にも及ぶ乱世を思う時 我が心中にふつふつと沸いてくる喜びがある
それが偽らざる私という人間だ
おそらくは私が勝ち続けることが乱世の民に天下の大義を示すことになるだろう
我に天の理があるを問うのだ (曹操)
— 『蒼天航路』その四十四 より
われわれファンが便宜的に多用する疑似人格:「運営」もまた
顔のない、超常能力を有するひとりの魔的な巨人ではありません。
おそらくは5、6人ほどの出資者/執行部、十数人ほどの現場決定権者、
それ以上に多人数にわたるスタッフの、一枚岩ならざる集合体とみなすのが妥当でしょう。
そして自らの力を自らで証明していくメンバー、その支持基盤と声を前にしては
「運営」の各部個々さえもが一目置き、随所で一歩退かざるを得ない —
乃木坂ちゃんたちは軽やかにしとやかに、自分に理があるのを懸けて
そんな畏るべき心胆の戦いを交わしているのでしょう。
自分に理がなければ人々は離れ、自分に理があれば人々は味方する。
乃木坂ちゃん!この運営にいかなる蛮勇か!
運営よ、戦いは心胆にあるぞ!
有効無効定かならぬマーケティング手法をあれこれ弄ぶくらいだったら
乃木坂ちゃんたちを信じ、乃木坂ちゃんたちのするに任せておけばよかろうに。
でも、そうした無念・不遇の障壁も日増しになし崩しに壊れ低くなっていき
漸進的に乃木坂メンバーの自由とヴィジョンの具現化は更に拡がっていくことでしょう。
そしてそれは他人事ではなく、われわれファンの視点と言動にも懸かっているはずです。
乃木坂ファン同胞よ、戦いは心胆にあるぞ!
「it girlと巡る!渋谷と原宿」中「橋本奈々未 x 原宿の名建築」はアパレル記事ではなく建築ルポ
※1
(´_ゝ`) 私まだ人生で一度もUSJ 行ったことないよ!!泣 | 乃木坂46 橋本奈々未 公式ブログ
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曹操「徐栄よ 戦いは心胆にあるぞ!」
— 『蒼天航路』その六十 より
乃木坂46の愛でるべき美しさの要因のひとつに
潔く力強い、しかも軽やかでシャレの利いた「戦い」の絵図があります。
その戦いは主に心胆の領域で戦われ、
われわれファンや一般世間には、いわば「上澄み」だけがかろうじて見えるにとどまります。
乃木坂メンバーの中でも殊に「理知派」というべき勇将2人 —
ななみん(橋本奈々未)といくちゃん(生田絵梨花)は
その心胆の戦いを苛烈に、しかも軽やかに戦う代表と言えましょう。
ここでは、ご当人たちの迷惑にならない程度を配慮しつつ
未ファン非ファン新規ファン、さらにはアンチに向けても
その戦いの絵図とダイナミクスを語ってみましょう。
(まあ、一介のファンのブログでの戯言ごときは「不利な証言」になんかならないですけどね)
「見苦しい」—
他者に対して使われれば並々ならぬ侮蔑として働くこの文言を
奈々未先生はいわゆる「USJ騒動」の際のブログで使っていました。 ※1
「こういう問題に自ら言及するのも見苦しいと承知した上で」と自分の弁明行為を腐すていであれ、
ななみんの矛先はすべての見苦しきものに向けられていましょう —
芸能人の「スキャンダル」が大好きな世間、
「ファン」を自認・自称する割にはすぐさま浮き足立つ幻想恋愛者・アンチ候補生、
「バカッター」で名を上げんとするヒマを持て余した匿名一般人、
そういうメンタリティ、そういう空騒ぎ、そういう社会的ポルノグラフィへの飢えをも
糧にせずには成立しないらしき所詮はゲーノー界、ゲーノー仕事...
そんなものまで認めて入ってきたわけではない奈々未先生にしてみれば
そういった状況のすべてがアホらしく無益で時間のムダで見苦しい。
ゆえに「私ももう、このような記事はあげません。」と最後通牒を突きつけたななみんは
その「ファン」に向けても逆説的に語っているでしょう —
「『ファン』であると言うのなら、わたしの、わたしたちの『仕事』を見てくれない?
乃木坂46のメンバーであるからといって、芸能ドロイドなんかになった覚えはない」と。
「運営」が動かねばメンバーが自ら動く。
「運営」を頼りにしていたって「泣かされる」のは結局メンバー自身、
だったらもう最初っから「運営」抜きでも自立・自律の効く自分であらねば —
不可視のバック・グラウンドで育まれていたであろう不退転の意志が
輝かしく眩しくシャレも利いた勝利の凱歌となったニッチながら特筆すべき瞬間でした。
ま〜〜〜ったくカンケーない唐突な話(?)ですが、
ボクは2011/03/11の「震災」を天災1割人災9割と考えている者です。
あれがもし単純に天災にとどまるものであったなら
2次3次の不幸も悪行も不公正もなく、もっと迅速でポジティヴな「復興」が可能だったでしょう。
他人の内心を推し量るのは、ある意味不遜なこととはいえ、
ボクはいくちゃんとななみんの2014年3月のブログにむしろシンパシーを感じます。
なんなら80行や160行にわたる文章を書くか、それとも書かないか —
「書かない」を選ぶことが最低限の「誠実さ」に繋がる、そんな心胆を感じるのです。
とあるひとつの脱退騒ぎはファンの記憶にもまだ新しいところですが、
虚実定かならぬデータや見解はただのイエロー・ジャーナリズムにしかならぬものです。
ボクはむしろ、3/22当日のブログ記事の存在および非存在にこそ、上記と同様の心胆を感じます。
残る者が残り、去る者は去る。
メンバーの集合体としての「生身の」乃木坂46が変わらず在る限りにおいては
何があっても乃木坂組はヤワじゃねえ。
そのことは2014年4月に始まった怒濤のゲリラ戦の数々でも証明されていると言えるでしょう。
社会常識的マナーを知らぬ「ゆとり」だけが沸き立つ4/13のような「プチ炎上騒ぎ」をも含めて
しかもそれを物ともせず、乃木坂46の快進撃は野火のようにそのフィールドを拡げています。
向かい風さえもが追い風になるような見事な心胆の戦いの結果です。
それらが拡大していく先には、天の理に懸け人の理と心に訴える更に遼遠な戦いがあるでしょう。
アンチでもプローでもない「一般」の、これから乃木坂ファンになるかもしれない人々は
乃木坂46にあるいは浅く好感を持ち、あるいはより深く知りたいと思う。
その時、つくりごとでない生身の姿をつまびらかに見せても、ますますその人を魅了してしまう —
それが乃木坂46というアイドル・グループの比類なきポテンシャルでしょう。
中でも、「有事」の際には義侠の憤りを怯むことなく掲げるななみんといくちゃんは
乃木坂の理と智を背負って矢面に立つ代表格であり、
従来のお仕着せのアイドルネスを遥かに凌駕する本物の新しいアイドルネスをコワモテに提示し
「こういうのは嫌い?こういうのはアイドルらしくない?でもこれがわたしなんだけど!」と
大胆に天下に問いかけているのです。
世の臥龍たちとの何十年にも及ぶ乱世を思う時 我が心中にふつふつと沸いてくる喜びがある
それが偽らざる私という人間だ
おそらくは私が勝ち続けることが乱世の民に天下の大義を示すことになるだろう
我に天の理があるを問うのだ (曹操)
— 『蒼天航路』その四十四 より
われわれファンが便宜的に多用する疑似人格:「運営」もまた
顔のない、超常能力を有するひとりの魔的な巨人ではありません。
おそらくは5、6人ほどの出資者/執行部、十数人ほどの現場決定権者、
それ以上に多人数にわたるスタッフの、一枚岩ならざる集合体とみなすのが妥当でしょう。
そして自らの力を自らで証明していくメンバー、その支持基盤と声を前にしては
「運営」の各部個々さえもが一目置き、随所で一歩退かざるを得ない —
乃木坂ちゃんたちは軽やかにしとやかに、自分に理があるのを懸けて
そんな畏るべき心胆の戦いを交わしているのでしょう。
自分に理がなければ人々は離れ、自分に理があれば人々は味方する。
乃木坂ちゃん!この運営にいかなる蛮勇か!
運営よ、戦いは心胆にあるぞ!
有効無効定かならぬマーケティング手法をあれこれ弄ぶくらいだったら
乃木坂ちゃんたちを信じ、乃木坂ちゃんたちのするに任せておけばよかろうに。
でも、そうした無念・不遇の障壁も日増しになし崩しに壊れ低くなっていき
漸進的に乃木坂メンバーの自由とヴィジョンの具現化は更に拡がっていくことでしょう。
そしてそれは他人事ではなく、われわれファンの視点と言動にも懸かっているはずです。
乃木坂ファン同胞よ、戦いは心胆にあるぞ!
「it girlと巡る!渋谷と原宿」中「橋本奈々未 x 原宿の名建築」はアパレル記事ではなく建築ルポ
※1
(´_ゝ`) 私まだ人生で一度もUSJ 行ったことないよ!!泣 | 乃木坂46 橋本奈々未 公式ブログ
