なーちゃんセンターに心臓を捧げよ、と生駒ちゃんは言った
いや、「言って」こそいないものの生駒ちゃん(生駒里奈)はそう発信してますね。
『乃木坂って、どこ?』第121回:
「チョコを渡すとしたらどのメンバー!? 乃木坂バレンタイン」で
れかたん(桜井玲香)ひなちま(樋口日奈)に挟まれてのなーちゃん(西野七瀬)への告白タイムで
生駒ちゃんは『進撃の巨人』の「心臓を捧げよ」ポーズを取り、
以前よりのなーちゃん単推しを改めて示し ※1
併せて8thシングル・センター西野七瀬を全力で支援することを
自らの心へのみならず
生駒ファンへ向けても全乃木坂ファンへ向けても宣誓しているのです(おおげさ)。
その初期に
ヴァルネラビリティと背中合わせの透明感によって広末/能年系の美少女っぷりを称揚された
生駒ちゃんはいまや、ななみん(橋本奈々未)と並ぶ無双の軍神/武将として
"乃木坂46は潰させない/潰れてはならない/潰れることは許されない"
"乃木坂46の途を阻むものには我が相手だ"
と言わんばかりのタフな強さを獲得し、
より疾く、より遠くへ、より自由に、そしてより高らかにハッピーに突き進むことを
待ち切れず猛り逸るような気の充実を随所で見せています。
一例までに。
「いくらなんでもそれを口に出しちゃうのか!」と先日ボクを驚嘆させたのは、
『乃木どこ?』第121回「8枚目シングル新選抜メンバー プライベート食事会」での彼女の発言 —
「まあ よく謂われる"アンチ"とかあるじゃん」
「どこにいっても居るけど 気にしたら負けだから」
でした。
広義のアイドル — 歌手アイドル、タレント、モデル、女優に至るまでのアイドル的存在は
基本的にプロに、事務所に「守られた」存在であり
法的なことでも絡まない限りは、如何なる説明責任もプライヴァシー提示も義務付けられません。
"アンチ"ことアンチ個人、アンチ活動、アンチ言説、イエロー・ジャーナリズムに関して言えば、
そんなものが存在さえしないかのように鷹揚に超然と構えていたほうが
アイドルにとってはそのプレステージが保たれる賢くおトクな姿勢のはずです。
ですが、年齢的/精神年齢的/リテラシー的に国民の3割から5割がたが「ゆとり化」した社会では
せっかく「ファン」になった人がゆとりメディアによってアンチ化するという
おかしな本末転倒さえしばしば起きることなのです。
生駒ちゃんであれ、ななみんであれ、なーちゃんであれ、乃木坂メンバーの多くは
「乃木坂46」という場/存在に
漠にして莫大な、夢見ることのすべてが自分でも未だ見えないほどの何か大きなものを
感じて懸けています。
ちょっとの成功、ちょっとの知名度、ちょっとのお金、なんかではなく。
懸けるところ、懸けた気持ちの大きさを鑑みれば
結構な大きさの痛みですら笑って忘れてあげてもいい、くらいの覚悟がそこにはあるのでしょう。
その由来・コンセプト・目的が「運営」側にとってどんなものであったにせよ、
採用されて集ったひとりひとりが、ならではの形の乃木坂46を必然的に不可避的に作り上げ
その形が各メンバーにとってかけがえのない、
一生の宝物、運命の出逢いのようなものだったからこそ
絶対に失いたくないし絶対に頓挫させたくない大切なものになったのでしょう。
そんな乃木坂46を愛する乃木坂46のファンは、誰よりもまず自分たちメンバー自身であるのだ、
ということの1.5周ほどした表明が
「気にしたら負けだから」「アンチには強い まったく気にしない(西野)」発言であり、
それは巡り巡っては、ファンのひとりひとりにもそのファン意識を問うものとも言えるでしょう。
生駒ちゃんファンであれ、まいやん(白石麻衣)ファンであれ、未央奈(堀未央奈)ファンであれ
はたまた他メンバーのファンであれ、
あなたはなーちゃんがセンターだからというだけで乃木坂ファンであることを休止しますか?
橋本奈々未のファナティックなファンでもあるボクは
誰がセンターであろうと気にすることもなく常に乃木坂に「心臓を捧げよ」ポーズを取り続けます。
甘えでも馴れ合いでもなく、ひとりひとりのメンバーのひとりひとりへのリスペクトが
「One For All, All For One」精神をどこよりも美しく体現している乃木坂46であるからこそ
ボクを魅了し続けてくれているのですから。
※1 一例として
2012/08/22 スカパー・チャンネル M-ON!(エムオン!)番組
「乃木坂46スペシャル 今宵はパジャマで女子会トーク!!」"彼女にしたいのは誰?"シークエンス
また
ナタリー - [Power Push] 乃木坂46「乃木坂って、どこ?」徹底解剖 (5/5) より
「私が推したい乃木坂46メンバー」
プライバシー ポリシー
『乃木坂って、どこ?』第121回:
「チョコを渡すとしたらどのメンバー!? 乃木坂バレンタイン」で
れかたん(桜井玲香)ひなちま(樋口日奈)に挟まれてのなーちゃん(西野七瀬)への告白タイムで
生駒ちゃんは『進撃の巨人』の「心臓を捧げよ」ポーズを取り、
以前よりのなーちゃん単推しを改めて示し ※1
併せて8thシングル・センター西野七瀬を全力で支援することを
自らの心へのみならず
生駒ファンへ向けても全乃木坂ファンへ向けても宣誓しているのです(おおげさ)。
その初期に
ヴァルネラビリティと背中合わせの透明感によって広末/能年系の美少女っぷりを称揚された
生駒ちゃんはいまや、ななみん(橋本奈々未)と並ぶ無双の軍神/武将として
"乃木坂46は潰させない/潰れてはならない/潰れることは許されない"
"乃木坂46の途を阻むものには我が相手だ"
と言わんばかりのタフな強さを獲得し、
より疾く、より遠くへ、より自由に、そしてより高らかにハッピーに突き進むことを
待ち切れず猛り逸るような気の充実を随所で見せています。
一例までに。
「いくらなんでもそれを口に出しちゃうのか!」と先日ボクを驚嘆させたのは、
『乃木どこ?』第121回「8枚目シングル新選抜メンバー プライベート食事会」での彼女の発言 —
「まあ よく謂われる"アンチ"とかあるじゃん」
「どこにいっても居るけど 気にしたら負けだから」
でした。
広義のアイドル — 歌手アイドル、タレント、モデル、女優に至るまでのアイドル的存在は
基本的にプロに、事務所に「守られた」存在であり
法的なことでも絡まない限りは、如何なる説明責任もプライヴァシー提示も義務付けられません。
"アンチ"ことアンチ個人、アンチ活動、アンチ言説、イエロー・ジャーナリズムに関して言えば、
そんなものが存在さえしないかのように鷹揚に超然と構えていたほうが
アイドルにとってはそのプレステージが保たれる賢くおトクな姿勢のはずです。
ですが、年齢的/精神年齢的/リテラシー的に国民の3割から5割がたが「ゆとり化」した社会では
せっかく「ファン」になった人がゆとりメディアによってアンチ化するという
おかしな本末転倒さえしばしば起きることなのです。
生駒ちゃんであれ、ななみんであれ、なーちゃんであれ、乃木坂メンバーの多くは
「乃木坂46」という場/存在に
漠にして莫大な、夢見ることのすべてが自分でも未だ見えないほどの何か大きなものを
感じて懸けています。
ちょっとの成功、ちょっとの知名度、ちょっとのお金、なんかではなく。
懸けるところ、懸けた気持ちの大きさを鑑みれば
結構な大きさの痛みですら笑って忘れてあげてもいい、くらいの覚悟がそこにはあるのでしょう。
その由来・コンセプト・目的が「運営」側にとってどんなものであったにせよ、
採用されて集ったひとりひとりが、ならではの形の乃木坂46を必然的に不可避的に作り上げ
その形が各メンバーにとってかけがえのない、
一生の宝物、運命の出逢いのようなものだったからこそ
絶対に失いたくないし絶対に頓挫させたくない大切なものになったのでしょう。
そんな乃木坂46を愛する乃木坂46のファンは、誰よりもまず自分たちメンバー自身であるのだ、
ということの1.5周ほどした表明が
「気にしたら負けだから」「アンチには強い まったく気にしない(西野)」発言であり、
それは巡り巡っては、ファンのひとりひとりにもそのファン意識を問うものとも言えるでしょう。
生駒ちゃんファンであれ、まいやん(白石麻衣)ファンであれ、未央奈(堀未央奈)ファンであれ
はたまた他メンバーのファンであれ、
あなたはなーちゃんがセンターだからというだけで乃木坂ファンであることを休止しますか?
橋本奈々未のファナティックなファンでもあるボクは
誰がセンターであろうと気にすることもなく常に乃木坂に「心臓を捧げよ」ポーズを取り続けます。
甘えでも馴れ合いでもなく、ひとりひとりのメンバーのひとりひとりへのリスペクトが
「One For All, All For One」精神をどこよりも美しく体現している乃木坂46であるからこそ
ボクを魅了し続けてくれているのですから。
※1 一例として
2012/08/22 スカパー・チャンネル M-ON!(エムオン!)番組
「乃木坂46スペシャル 今宵はパジャマで女子会トーク!!」"彼女にしたいのは誰?"シークエンス
また
ナタリー - [Power Push] 乃木坂46「乃木坂って、どこ?」徹底解剖 (5/5) より
「私が推したい乃木坂46メンバー」
