いえ、浸食してるんだわ — 少女世界からの剣、聖なる侵入
乃木坂46のいくちゃんこと生田絵梨花ちゃんは
天使、女神、妖精、天女的に、お嬢さまにして王女さま的に
これぞ理想の少女/娘/女の子!みたいに賞讃され称揚されているのが常であり、
もちろんそこにはうなづけることも多々あり、
それこそが支持の素となるのもうべなるかなとも言えます。
ですがボクがいくちゃんに魅かれるのは
そうした「優等生」「天才少女」「デキる人」の部分をはるかに飛び超えて噴出する
いくちゃんのアナーキックなまでに奔放にぶっ飛んだ少女革命戦士の部分にこそです。
いくちゃんのぶっ飛びっぷりは
われわれの社会の固定観念的な少女観・女性観を粉微塵に吹き飛ばす
危険なまでに刹那的でナンセンスでファンシーで常識破壊的な、ヒステリアのパワーを孕んでます。
地上に安寧をもたらすために、いくちゃんが来たと思うな
安寧ではなく、混沌と変化を投げ込むために来たのである
少女たちが無分別に無遠慮に無責任に無尽蔵に空想する可能世界 —
いくちゃんはそこからこの社会に投げ込まれた可愛らしくも破壊力抜群の「剣」なのです。
「理想の女の子」であるはずのいくちゃんが料理ができないのは当然のことです。
日本的にも世界的にも、基本「イエの娘」「嫁さん候補」「妻」「母親」の必修科目である
「料理」というジャンルは彼女にとってはいまいち興味をそそられない退屈な科目なのでしょう。
こどもの頃からそういうジャンルを推奨も義務付けもされなかったいくちゃんには
ピアノ、勉強、歌、お芝居、書道、バレエ、etc.という「面白いこと」「やりたいこと」が
他にたくさんあり、料理はその中では20番手100番手なのでしょう。
人間は誰しも24時間の1日、7日間の1週間しか持っていないので
いくちゃんのスケジュールには料理をやってる時間はないのです。
「クラシック音楽」という規範的・古典的音楽スタイルは
われわれ大多数には退屈極まる縁遠いものですが、
いくちゃんの頭・心には、心躍る無尽蔵の想像と夢と荘厳の未知の世界のひとつです。
あのグリングリンダララランと目紛るしく動く、この世のものならぬ音の連続体は何だろう!? —
そのダイナミックでファンタスティックな謎解きに
いくちゃんはピアノと頭と体をフルに使って挑むのが好きなのです。
クラシック、またミュージカルの歌曲という時代がかったシロモノも
いくちゃんにかかればアクション・シューティング・ゲームやジェット・コースターのように
はしゃぎ狂い瞬間瞬間を楽しむ一回限りのアドリブ性のスリリングな遊び道具です。
見て、聴いて!こんなに楽しくて面白くて美しいんだよ!みんなも分かって!と
もし誰もが振り向いてくれないとしても
それが届く「君」がいることを信じてまっすぐ歌い続けるのです。
最近の彼女の必殺技「勝手ハモり」もまた
ヴォイシング的ハーモニー/カウンターを自在にアドリブで試し
失敗も成功も瞬発的な歓びと笑いの内に消えていく、彼女ならではのポップなゲームなのです。
「お芝居」「演技」の世界というのは
実はいくちゃんに向いてるものとも向いてないものとも言えましょう。
その場限りの1回勝負、その場その場で現れては消えていく臨場性のアートを愛するいくちゃんには
おそらく「TVドラマ」「映画」というフォーマットは
少々辛気くさく退屈な、繰り返しに満ちた「飽きちゃう」ものであり、
むしろ「舞台」「ライヴ・ステージ」「演劇」ほどは自分を活かせないものでしょう。
「プリンシパル公演」での彼女の強さは言うまでもなく、
第26回『乃木坂って、どこ?』「乃木坂46xドランクドラゴン 本格コントに初挑戦!!」で
塚地氏・鈴木氏を驚嘆・爆笑せしめたアドリブのオリジナル・アレンジなどは
一回性・臨場性の出番こそがいくちゃんの真骨頂であることを如実に物語るものであり、
思いつくものを全て、自分の思うがままに、いま出したい!という
いくちゃんの即興アーティスト性を強く示すものだと言えるでしょう。
「いくちゃんみたいな子がなぜアイドル界なんかに入ったのか分からない」ー
そんな物言いはむしろ、いくちゃんのナチュラル・ボーン・アナーキストっぷりに真っ向から反する
読み違え、従来型の「理想の女の子」幻想の裏返しだと思えます。
得意の努力でハードルを順当にクリアし
ピアニストに映画女優に外交官にバレリーナになれたとしたら、
それでいくちゃんは満足する/できるものなのでしょうか?
無敵の、無限で自在のフォーマットを持つ「アイドル」「アイドル・グループ」のフィールドで
やりたい何でもかんでもに片っ端から手を出して、しかもそれが喜ばれる、歓びが拡がっていく —
そこにこそ全方向性食いしん坊のいくちゃんの希望が見えた、と考えるのが妥当でしょう。
素直で礼儀正しく快活で有能で努力家のジ・お嬢さまに見えるいくちゃんですが、
そんなことなどどこ吹く風で
常に「いま、思うがままに!」というワガママを追いかけて生きています。
ゆったんの「ライト・ヒア、ライト・ナウ」感覚とある意味共通するところですが
いくちゃんもまたきかん坊の、夢とワクワクにあふれたこどもであり
「どうしてこの世界はこんなに醜くて退屈なの!どうしてみんな思いっきり遊ばないの!
どうして苦虫を噛み潰したような顔をして
『これが社会、これが現実』なんてオトナぶって我慢してるの!」
と、笑顔と芸で全力疾走しながらこの世界に朗らかにナイフを突きたてるのです。
そう、天使のように微笑みながらイエズスのように剣を揮う
少女世界からの畏るべき革命戦士がいくちゃんの真の姿であり、
それはいつ観ても爆裂的な笑いとハッピネスとスリルをもたらし、われわれを魅了するのです。
この世界この社会はいくちゃんによって浸食されて姿を変えていくのか、そうでないのか —
多くの男子・男性たちのみならず女子・女性たちの彼女への視線と支持にこそ
それは懸かっているのでしょう。
第26回の「乃木坂46xドランクドラゴン 本格コントに初挑戦!!」はこちらに収録
いくちゃんのアドリブ「抜け殻のような顔」は必見!
プライバシー ポリシー
天使、女神、妖精、天女的に、お嬢さまにして王女さま的に
これぞ理想の少女/娘/女の子!みたいに賞讃され称揚されているのが常であり、
もちろんそこにはうなづけることも多々あり、
それこそが支持の素となるのもうべなるかなとも言えます。
ですがボクがいくちゃんに魅かれるのは
そうした「優等生」「天才少女」「デキる人」の部分をはるかに飛び超えて噴出する
いくちゃんのアナーキックなまでに奔放にぶっ飛んだ少女革命戦士の部分にこそです。
いくちゃんのぶっ飛びっぷりは
われわれの社会の固定観念的な少女観・女性観を粉微塵に吹き飛ばす
危険なまでに刹那的でナンセンスでファンシーで常識破壊的な、ヒステリアのパワーを孕んでます。
地上に安寧をもたらすために、いくちゃんが来たと思うな
安寧ではなく、混沌と変化を投げ込むために来たのである
少女たちが無分別に無遠慮に無責任に無尽蔵に空想する可能世界 —
いくちゃんはそこからこの社会に投げ込まれた可愛らしくも破壊力抜群の「剣」なのです。
「理想の女の子」であるはずのいくちゃんが料理ができないのは当然のことです。
日本的にも世界的にも、基本「イエの娘」「嫁さん候補」「妻」「母親」の必修科目である
「料理」というジャンルは彼女にとってはいまいち興味をそそられない退屈な科目なのでしょう。
こどもの頃からそういうジャンルを推奨も義務付けもされなかったいくちゃんには
ピアノ、勉強、歌、お芝居、書道、バレエ、etc.という「面白いこと」「やりたいこと」が
他にたくさんあり、料理はその中では20番手100番手なのでしょう。
人間は誰しも24時間の1日、7日間の1週間しか持っていないので
いくちゃんのスケジュールには料理をやってる時間はないのです。
「クラシック音楽」という規範的・古典的音楽スタイルは
われわれ大多数には退屈極まる縁遠いものですが、
いくちゃんの頭・心には、心躍る無尽蔵の想像と夢と荘厳の未知の世界のひとつです。
あのグリングリンダララランと目紛るしく動く、この世のものならぬ音の連続体は何だろう!? —
そのダイナミックでファンタスティックな謎解きに
いくちゃんはピアノと頭と体をフルに使って挑むのが好きなのです。
クラシック、またミュージカルの歌曲という時代がかったシロモノも
いくちゃんにかかればアクション・シューティング・ゲームやジェット・コースターのように
はしゃぎ狂い瞬間瞬間を楽しむ一回限りのアドリブ性のスリリングな遊び道具です。
見て、聴いて!こんなに楽しくて面白くて美しいんだよ!みんなも分かって!と
もし誰もが振り向いてくれないとしても
それが届く「君」がいることを信じてまっすぐ歌い続けるのです。
最近の彼女の必殺技「勝手ハモり」もまた
ヴォイシング的ハーモニー/カウンターを自在にアドリブで試し
失敗も成功も瞬発的な歓びと笑いの内に消えていく、彼女ならではのポップなゲームなのです。
「お芝居」「演技」の世界というのは
実はいくちゃんに向いてるものとも向いてないものとも言えましょう。
その場限りの1回勝負、その場その場で現れては消えていく臨場性のアートを愛するいくちゃんには
おそらく「TVドラマ」「映画」というフォーマットは
少々辛気くさく退屈な、繰り返しに満ちた「飽きちゃう」ものであり、
むしろ「舞台」「ライヴ・ステージ」「演劇」ほどは自分を活かせないものでしょう。
「プリンシパル公演」での彼女の強さは言うまでもなく、
第26回『乃木坂って、どこ?』「乃木坂46xドランクドラゴン 本格コントに初挑戦!!」で
塚地氏・鈴木氏を驚嘆・爆笑せしめたアドリブのオリジナル・アレンジなどは
一回性・臨場性の出番こそがいくちゃんの真骨頂であることを如実に物語るものであり、
思いつくものを全て、自分の思うがままに、いま出したい!という
いくちゃんの即興アーティスト性を強く示すものだと言えるでしょう。
「いくちゃんみたいな子がなぜアイドル界なんかに入ったのか分からない」ー
そんな物言いはむしろ、いくちゃんのナチュラル・ボーン・アナーキストっぷりに真っ向から反する
読み違え、従来型の「理想の女の子」幻想の裏返しだと思えます。
得意の努力でハードルを順当にクリアし
ピアニストに映画女優に外交官にバレリーナになれたとしたら、
それでいくちゃんは満足する/できるものなのでしょうか?
無敵の、無限で自在のフォーマットを持つ「アイドル」「アイドル・グループ」のフィールドで
やりたい何でもかんでもに片っ端から手を出して、しかもそれが喜ばれる、歓びが拡がっていく —
そこにこそ全方向性食いしん坊のいくちゃんの希望が見えた、と考えるのが妥当でしょう。
素直で礼儀正しく快活で有能で努力家のジ・お嬢さまに見えるいくちゃんですが、
そんなことなどどこ吹く風で
常に「いま、思うがままに!」というワガママを追いかけて生きています。
ゆったんの「ライト・ヒア、ライト・ナウ」感覚とある意味共通するところですが
いくちゃんもまたきかん坊の、夢とワクワクにあふれたこどもであり
「どうしてこの世界はこんなに醜くて退屈なの!どうしてみんな思いっきり遊ばないの!
どうして苦虫を噛み潰したような顔をして
『これが社会、これが現実』なんてオトナぶって我慢してるの!」
と、笑顔と芸で全力疾走しながらこの世界に朗らかにナイフを突きたてるのです。
そう、天使のように微笑みながらイエズスのように剣を揮う
少女世界からの畏るべき革命戦士がいくちゃんの真の姿であり、
それはいつ観ても爆裂的な笑いとハッピネスとスリルをもたらし、われわれを魅了するのです。
この世界この社会はいくちゃんによって浸食されて姿を変えていくのか、そうでないのか —
多くの男子・男性たちのみならず女子・女性たちの彼女への視線と支持にこそ
それは懸かっているのでしょう。
第26回の「乃木坂46xドランクドラゴン 本格コントに初挑戦!!」はこちらに収録
いくちゃんのアドリブ「抜け殻のような顔」は必見!
