散じよわが諦念、と齋藤飛鳥は叫ぶか
殿の軍略とは勝つための軍略でも負けぬための軍略でもない!
人を解き明かす手段のようなものだ! (荀攸)
—『蒼天航路』 その百五十七 より
まるで袁紹と同じだな 文醜
おまえという人間を武と智で割れば きれいに割り切れて残るものがない
おまえたちには心の闇がない
心に闇がない者は圧倒的に強い
しかし俺を破り俺のすべてを奪える人間とは
俺以上に心の闇を持ち俺を惹きつけてやまぬ人間だ (曹操)
— 同上 より
齋藤飛鳥の沈黙 ー
そんな縁起でもない、そして必ずしも実状に即しているわけでもないエントリ・タイトル案が
字面や語感の意味不明なかっこよさだけから、書け書けとボクをせっつくという謎の現象が
ここ半年か、もしかしたら1年以上にも亘って続いてたんですが、
去る ’18年3月31日発売の『BUBKA』5月号での
あしゅ(齋藤飛鳥)x 久保ちゃん(久保史緒里)x 美月(山下美月)のインタヴュー:
「『こっち側』の3人」は
ひさびさにあしゅの言説アイドルとしての武が遺憾なく発揮されたプロダクトとなっており
なぜかしらほっと胸を撫でおろす想いのボクでした。
従来の「運営」の意向のあり様から考えれば、事によると
“みんな大好き3期生!そしてほら、乃木坂3大アイコンのひとり齋藤飛鳥先輩だってこんなに!”
みたいな華々しき花火が打ち上がるのが期待されてたのかもしれませんが、
どっこい、そこは流石の齋藤飛鳥さん、そんな生易しいものでは済ませてくれません。
話の内容自体が興味深いものであるのはもちろんのことながら
それ以前に注目・特筆すべきはその独特にメタでプログレッシヴな語り口。
あしゅが『乃木坂46の「の」』出演時の神回の数々で見せてきた
ひとひねりもふたひねりもあるような、含みとお戯れを多分に忍ばせるような
前置き・注釈的な軽口ジャブが連発されます。
山下)飛鳥さん、私たちに絶対興味ないと思いますよ(笑)。
齋藤)否定はしないです(笑)。
齋藤)いきなりきますねぇ(笑)えっと......2人ともそんなに喋ったことがないから、本当にただのイメージでしかないんですけど、久保さんは......待ってくださいね、言葉を選んでいるだけであって、悩んでるわけじゃないので。
久保・山下)怖い......(苦笑)。
ー 久保さんもそう見えるということですよね?
齋藤)曲がったことはしなさそうですけど、不器用かと言われると......どうなんですかね?って感じもあります。
久保)(小声で)不器用ですよ。
齋藤)......って自分で言うタイプは、あんまり不器用じゃない。
久保・山下)あははは。
チキるチキる!
通り一遍の、当たり障りのないひとくだりひとくだりで済ませない、済ませたくないかのような
あしゅのプロファイラー的追究の手が「(笑)」の奥にほの見えるようなシークエンスの数々。
そして、やまっきーこと美月へのヤバいくらいの次の言及 ー
齋藤)やまっきーは、めちゃめちゃ成功しそうだなって思う。この世界とは限らずに、勝ち組と言われる人生を送りそう。頭もいいだろうし、いろんなものを持っていらっしゃるだろうから、真っすぐ上っていけそうな気がするんだけど......何となく、我々や見ている人を転がしてくれるんだろうな、みたいな気配もある。
ー 正統派アイドルみんな大好き山下美月にいかなる蛮勇か!
流石の美月も「えーっ?それは、嬉しいのかなぁ?」と困惑のご様子です。
でも、ちがうんです、ちがうんですよ?
アンチのみなさん、及びアンチ候補生のみなさんは
脊髄反射的に「あすかは俺の敵!」みたいに吹き上がるのを堪えて思い出してみるべきなのです ー
あしゅが「隠れ2期生」の称号を持つ人であることを。
きいちゃん(北野日奈子)、まいちゅん(新内眞衣)、純奈(伊藤純奈)、いおり(相楽伊織)、
みりあ(渡辺みり愛)、みおな(堀未央奈)と
さらには、「ささきとすずき」に『NOGIBINGO!7』の特典メイキング映像で言及してもいるように
琴子(佐々木琴子)、絢音ちゃん(鈴木絢音)と
多くの2期生と蜜月を過ごし共にキラー・シーンを作り
また、もっともっとそういうプロダクトを、との希求を表明してきた飛鳥さんなのに、
そうしたヴァリエーション豊かなコンビネーションへの試行は
いつの間にか立ち消え雲散霧消したかのように棚上げになっているのです。
もし!万が一!にも飛鳥さんに
3期生エースとの誉れも高き久保史緒里ちゃん&山下美月ちゃんに含むところがあるとすれば
それはむしろひとえに、「運営」の3期生への扱いと意向にこそ向けられているものでしょう。
「“こんなに悪いことがあるよ”ということを知っておきたい(※1)」というメンタリティを
かねてより様々な場で様々な形で公言しているあしゅには
連戦連勝、向かう所敵なし、引く手数多、ハピハピハッピーで快進撃を続ける3期生運営の「外枠」は
胡散臭いまでに眩しく、眩しいまでに胡散臭く見えるものであっても不思議ではないものでしょう。
泣いてるメンバーのそばにいるだけで、あるいはそばにいることすら叶わず
多くのことがただ哀しく行きすぎていくのを見守るという経験をしてきたあしゅからすれば、
「これからたくさん待ってるよ」とまでは言わずとも
これまでの「これ」、現時点の「これ」が、そうそうトントン拍子に続くものではない、というのは
先輩メンバーとして言っておかずにはいられない「苦言」の重要な一端なのだと思われます。
このインタヴューのラストの
絶妙にプログレッシヴな爆笑を喚起するパンチ・ラインにもそれが窺えます。
ー それは1期生、2期生がいろいろ作ってきたものをしっかり見せてきたからではないですか?
齋藤)それだと嬉しいですけど、本人たちの意識が高いのがこちら側としてはありがたい。でも強いて言うなら......別にアドバイスっていう大袈裟なものじゃないですけど、諦念の気持ちを持つことの大事さ、美しさを知ってほしいですね。
久保・山下)............。
齋藤)えっ、何?(笑)
諦念の大事さ、はともかくも「美しさ」とな!?
一見唐突に思えるそんな文言も
『BUBKA』'15年12月号の「齋藤飛鳥 x 橋本奈々未 せめて、私らしく」を既読の人なら
無理なく腑に落ち、また改めてキュンキュンさせられるものでしょう。 ※2
雑誌モデルさんですし、CMモデルさんですし、映画女優さんですし、お忙しいのでね?となっても
あしゅのヴィジョンと懸けどころのコアは今も
乃木坂46という独自フォーマットでこそできることにあるはず。
外側から枠的に見ての「大人気のトップ・アイドル」になったとしても、あしゅの器は
それで満足したり守りに入ったり、次なるキャリアを考え始めたり、に留まるものではないでしょう。
でも、あしゅの「諦める=明らかに見る=迷妄から離れ物事の真の姿を見る (※3)」姿勢が
乃木坂人気というものへの、アイドル稼業というものへの、移ろいやすい人心というものへの
「信じてやんねーぞ」という不信に留まっている限りでは
「では、信じられる乃木坂と信じられる乃木坂人気とはどういうものであるか?」
という問いへの答えは示されないままなのです。
その未だ見ぬ答えの形は、もちろんあしゅの一存では具現化できないものではあるでしょうが
(そしてもしかしたら「運営」が遠回しに阻止・却下しているものかもしれませんが)
たとえばボクなら、「ささきとすずきと飛鳥さん」みたいなプロダクトとして幻視します。
その「場」をあしゅ風味が支配する
『乃木坂46の「の」』や『のぎ天』のいにしえの神回・神シークエンスの数々のように。
夢見ることを超え、さらには諦念をも超えて、狂い咲くような瞬間最大ピークの思いがけない連発 ー
ボクのみならず、齋藤飛鳥に何かを見た者は、そんなサムシング・エルスを期待してしまうのです。
そして、長らく雌伏の期にあった臥竜たちが今...
と、それはまた別のお話、ごく近いうちにまた。
※1 一例までに、参照
乃木坂46・齋藤飛鳥「“こんなに悪いことがあるよ”ということを知っておきたいんです」 | ダ・ヴィンチニュース
※2 参照
毘沙門天にサヨナラを、そして She's Got A Ticket To Ride
※3
「諦念」「諦観」「諦」は仏教においてはポジティヴな概念
一例に、参照
四諦 - Wikipedia
かの橋本奈々未さんの言にもその影響を感じさせるものがある ー
「もしかしたら 今生きてるこの世界が 地獄かもしれないし」
「人間って汚いじゃん 感情とかさぁ 醜いしどろもどろがあるじゃん
それに対して もう 一生かけてつきあっていくってことが 地獄なのかなって
人間の醜い感情とか そういうもの... 知って学ぶ...」
参照
偶然を運命にして — 今、語りたいななみんといくちゃんがいる
