毘沙門天にサヨナラを、そして She's Got A Ticket To Ride
憎しみは超えた さらば父上 もう幻は見ない (宮本武蔵)
—『バガボンド』#122 より
逝ったか 孟徳
関羽は神になり 劉備は物語となる しかし孟徳よ
おぬしは乱世の奸雄のままだが 人の世は曹孟徳を残す
百年たとうが千年たとうがおぬしを忘れ去ることはない (譙の長老)
— 『蒼天航路』最終話 より
ななみん(橋本奈々未)の乃木坂46卒業については
ななみん自身からの十分な、少なくともななみんをよく見てきたファンにとっては十分な表明があり、
シンパシーと祝福の念の下に送り出せるめでたい卒業であるため
ことさらに書くべきことはないと思っていました。
何らかの運命に導かれてか、ボクは珍しくたまたま当の '16年10月20日未明の
『乃木坂46のオールナイトニッポン』を「超直前スペシャル!」から視聴していたのですが、
直後、というかその放送中にアップされた日刊スポーツ・ウェブ版のインタヴューで
「自分が大事にしているなって思っているものが、そっちにあったからだと思います」と読んで
すべて綺麗にストンと腑に落ちる気がしたので、自分的には「済んだこと」だったのでした。 ※1
でも、自分が書かなかったらこのことは誰も書かず考慮されもしないかも、みたいな言説群が
ここ4ヶ月、どころか大枠ではここ1年以上も心中に湧き出しては止まらずにいたので
無粋・野暮を承知の上で、ある1トピックについてだけは書き残しておきたいと思います。
「その予兆」をボクが最初に感じたのは『BUBKA』'15年12月号の9月24日収録の対談インタヴュー:
「齋藤飛鳥x橋本奈々未 せめて、私らしく」ででした。
「昔はたくさん夢があった」「選択肢がたくさんある!と思っていた」
「年を重ねていくにつれて、それが少しずつ減っていって」と語っているななみんに ※2
ボクは思わずブログにウザめのコメントを寄せにいったものでした —
ギターでのソングライティング、ムービー製作、試して/試されてないことまだあるじゃない、と。
同年12月3日発売の『日経エンタテインメント!アイドルスペシャル2016』でも
ななみんのそれ絡みの心情はより詳しく吐露されており、 ※3
時系列的には既にもう、お母さんからの「すごい長い手紙」は受け取っていたのかもしれません。
それだけを見れば一見ネガティヴにも思えるそれらの発言の時期、
ななみんの中にはむしろ、大きな次なる挑戦へと揺さぶられる心があったのかもしれません。
まりっか(伊藤万理華)わか(若月佑美)れかたん(桜井玲香)いくちゃん(生田絵梨花)等々の
「夢を見て」「努力をしている人」が舞台/映像での女優仕事を一歩一歩確かにものにしていく。
心配していたあしゅ(齋藤飛鳥)は思いがけなくドラムというライフ・ワークに巡り会う。
高校の同級生:あやちゃま(瀬川あやか)は現役看護師からシンガー/ソングライター・デビュー。
いつごろからか、どのような順序・過程でかはファン側のわれわれには知れないものの
お母さんからの手紙に加えての各種各様の背中押しもあってか
ななみんの中に
新しくやりたい何か、捨て置いた選択肢の発展した見直し、
あるいは一か八かの後先考えないゼロからのスタートへの急激な焦燥感とワクワクが、
まっさらな明るい展望が、仏教で謂う解脱・頓悟よろしく不意に訪れたとも考えられるのです —
乃木坂46を、芸能界を辞めても/辞めたら、人生は、時間はまだまだたっぷりあるじゃないか、と。
'12年7月5日のブログで「可愛げのかの字もありませんでした」と自嘲的にシャレて要約が紹介され
後に'14年11月には『755』で自筆原稿もあげられた、小学校の卒業文集のななみんの作文には
確かで安定した公務員/税理士という職業と
不安定で厳しく門戸も狭いが夢のあるアニメーターという職業の間で揺れる小6ななみんの
驚くほど理知的で論理的な分析が表されていました。
現実的な堅実さと夢見る荒ぶりは、おそらくななみんのひととなりの根幹にある両極性で
中学、高校、大学、アイドル・デビューと振幅大きく両極端に揺れたななみんの航路の源でしょう。
過去に『FLASHスペシャル 2014盛夏号』でも詳しく語っていたその小中高〜大時代を
ななみんは'16年9月号の『BUBKA』で、新たな光をあててより詳しく語り直しています —
「田舎のごく限られた地域のなかでしか生きてなかったから、年齢を重ねるごとにもっといろいろなものを見たいという思いが強くなっていったんです」
「ここでは見えないものが、きっと東京にはたくさんあるんだろうって思ったんです。それで北海道にはない、東京でしか学べないようなことをあえて選択して、親の反対を押し切って東京に出てきたという感じですね」
「私、いちばん楽しかったのはいつかって考えたら中学時代なんですよ」
「いちばん自分に素直で、自由に動くことができたのは中学時代ですね。中学生のころは本当に好きなことしかしてなかったんです」
「高校時代は真っ当だったと思います。でも中学はちょっとダメ。ダメだったんですけど素直だったんですよ、すごく。まあ、周りからめちゃくちゃ怒られてましたね。自分の好きなことをしていたから。うん、そうですね......フフフフフ......」
「ずっとネットに貼りついていたり(笑)。『九州ではこんなことになってるんだ!』とか。知らない世界がインターネットから垣間見れるのが楽しかったんですよね。あとは、友達と公園でずっと語り合ったり」
— そこには、どこの誰でも人生のどこかで一度は経験するであろう
未知の、広い、多様性と可能性に溢れた世界への手伸ばしとそれに伴う軋轢がほの見えます。
狭い世界でおとなしく無難に生きてゆくのを良しとすることができなかった少女は
人一倍常識的で規範的な見識を身に付けつつも、それを超える激しくディープなヴィジョンを垣間見て
このまま「いい子」でいられない、いたくないという荒ぶる心火を何度も感じていたのでしょう。
そしてその最新・最大のチャレンジが乃木坂46加入・活動となり
われわれの知るななみん、乃木坂の毘沙門天ななみんとなったのだと思います。
16/10/20の発表前ながら、上記『BUBKA』のインタヴューには既に
エッセンシャルな予告/表明があると思えます —
「例えば自分の奨学金を全額返済することもそうなんですけど、いままでの人生で自分が抱えてきた負債やマイナス要素を消していくためにここにいるっていう意識がすごく強いんです」
「だから自分がこれから生きていくなかで、人生を楽しむためには中学のころの感覚を取り戻すことが大事なんだろうなって。将来は中学時代のように好きなことを楽しんでやりたい......あのころに対して、そういう憧れの気持ちが強いのかもしれないです」
(以上の抜粋は順不同に、筆者の恣意により)
おそらくは殊に感情面での負債を、不孝や行き違いや涙の借りを報恩を以て返し終えたと感じ得た時、
ななみんには芸能生活以外の手付かずの大世界が再びワクワクの船出先として見えたはず。
知性と気骨と義心のアートで天下を瞠目させた毘沙門天にはサヨナラを。
「裏方」「サポート」の意味するような領域であれ、そうでなかれ
ななみんの以降の進路が「好きなことを楽しんでや」るようなものであることを祈ります。
真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。
我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。
— 『徒然草』第六十段 より
※1
橋本奈々未が卒業「理由って、ないかも」一問一答 - 乃木坂46 : 日刊スポーツ より
— 具体的に、卒業発表について考え始めたのは
橋本 具体的に動いていこうと思ったのは、去年です。
— きっかけは
橋本 きっかけは、ずっと自分の中で考えてはいたんですけど、去年の今ごろ、母親からの手紙で、「無理しないでね」みたいな、すごい長い手紙が初めて届いたんですね。何の前触れもなく。それでなんとなく、そろそろなのかもしれないなと思いました。
※2
— 世の中には、自分はきっと将来しあわせになれるんだと思って人生に期待している女の子がたくさんいると思うんです。でも、お二人は諦念に満ちているというか、達観した視点を持っているところが共通していますよね。
(中略)
橋本)私は、夢を見てもいい人って努力をしている人だと思うし、努力をしている人は必然的に夢を見ると思うんですよ。夢と努力は相互関係が成り立つと思っていて。私も昔はたくさん夢があったんです。あれになりたい、これになりたい、って。こんなに選択肢がたくさんある!と思ってたんですよ。でも、だんだん年を重ねていくにつれて、それが少しずつ減っていって......。でも、飛鳥はまだ若いから、これから先、何か夢中になれるものとか努力したいって思えるものに出会って、将来に期待をしてほしいなって。夢を見てほしい。
※3
「小さい頃は、あれになりたい、これになりたいという夢がたくさんありましたね。最初は公務員で、小学生のときは弁護士になろうと思っていました。中学のときは漠然といい大学に入りたくて、高校で色々な道が開けて、様々な選択肢がある中から、自分で上京したい、美術大学に行きたいと選んで。昔は選択肢が多かったけど、今は年齢もあるし、顔と名前が世の中に出るお仕事をしているので、そこまで自由が利かない。もう後戻りできない部分もあるんですよね。」
「かつての夢は何一つとしてかなっていない。でも、今もう一度そのときに戻ってやり直したいかというと、そこまでのこだわりもない。だからこの先、新しく何かをやりたいということが、きっとまた見つかるはずだと思ってやっています。」
プライバシー ポリシー
—『バガボンド』#122 より
逝ったか 孟徳
関羽は神になり 劉備は物語となる しかし孟徳よ
おぬしは乱世の奸雄のままだが 人の世は曹孟徳を残す
百年たとうが千年たとうがおぬしを忘れ去ることはない (譙の長老)
— 『蒼天航路』最終話 より
ななみん(橋本奈々未)の乃木坂46卒業については
ななみん自身からの十分な、少なくともななみんをよく見てきたファンにとっては十分な表明があり、
シンパシーと祝福の念の下に送り出せるめでたい卒業であるため
ことさらに書くべきことはないと思っていました。
何らかの運命に導かれてか、ボクは珍しくたまたま当の '16年10月20日未明の
『乃木坂46のオールナイトニッポン』を「超直前スペシャル!」から視聴していたのですが、
直後、というかその放送中にアップされた日刊スポーツ・ウェブ版のインタヴューで
「自分が大事にしているなって思っているものが、そっちにあったからだと思います」と読んで
すべて綺麗にストンと腑に落ちる気がしたので、自分的には「済んだこと」だったのでした。 ※1
でも、自分が書かなかったらこのことは誰も書かず考慮されもしないかも、みたいな言説群が
ここ4ヶ月、どころか大枠ではここ1年以上も心中に湧き出しては止まらずにいたので
無粋・野暮を承知の上で、ある1トピックについてだけは書き残しておきたいと思います。
「その予兆」をボクが最初に感じたのは『BUBKA』'15年12月号の9月24日収録の対談インタヴュー:
「齋藤飛鳥x橋本奈々未 せめて、私らしく」ででした。
「昔はたくさん夢があった」「選択肢がたくさんある!と思っていた」
「年を重ねていくにつれて、それが少しずつ減っていって」と語っているななみんに ※2
ボクは思わずブログにウザめのコメントを寄せにいったものでした —
ギターでのソングライティング、ムービー製作、試して/試されてないことまだあるじゃない、と。
同年12月3日発売の『日経エンタテインメント!アイドルスペシャル2016』でも
ななみんのそれ絡みの心情はより詳しく吐露されており、 ※3
時系列的には既にもう、お母さんからの「すごい長い手紙」は受け取っていたのかもしれません。
それだけを見れば一見ネガティヴにも思えるそれらの発言の時期、
ななみんの中にはむしろ、大きな次なる挑戦へと揺さぶられる心があったのかもしれません。
まりっか(伊藤万理華)わか(若月佑美)れかたん(桜井玲香)いくちゃん(生田絵梨花)等々の
「夢を見て」「努力をしている人」が舞台/映像での女優仕事を一歩一歩確かにものにしていく。
心配していたあしゅ(齋藤飛鳥)は思いがけなくドラムというライフ・ワークに巡り会う。
高校の同級生:あやちゃま(瀬川あやか)は現役看護師からシンガー/ソングライター・デビュー。
いつごろからか、どのような順序・過程でかはファン側のわれわれには知れないものの
お母さんからの手紙に加えての各種各様の背中押しもあってか
ななみんの中に
新しくやりたい何か、捨て置いた選択肢の発展した見直し、
あるいは一か八かの後先考えないゼロからのスタートへの急激な焦燥感とワクワクが、
まっさらな明るい展望が、仏教で謂う解脱・頓悟よろしく不意に訪れたとも考えられるのです —
乃木坂46を、芸能界を辞めても/辞めたら、人生は、時間はまだまだたっぷりあるじゃないか、と。
'12年7月5日のブログで「可愛げのかの字もありませんでした」と自嘲的にシャレて要約が紹介され
後に'14年11月には『755』で自筆原稿もあげられた、小学校の卒業文集のななみんの作文には
確かで安定した公務員/税理士という職業と
不安定で厳しく門戸も狭いが夢のあるアニメーターという職業の間で揺れる小6ななみんの
驚くほど理知的で論理的な分析が表されていました。
現実的な堅実さと夢見る荒ぶりは、おそらくななみんのひととなりの根幹にある両極性で
中学、高校、大学、アイドル・デビューと振幅大きく両極端に揺れたななみんの航路の源でしょう。
過去に『FLASHスペシャル 2014盛夏号』でも詳しく語っていたその小中高〜大時代を
ななみんは'16年9月号の『BUBKA』で、新たな光をあててより詳しく語り直しています —
「田舎のごく限られた地域のなかでしか生きてなかったから、年齢を重ねるごとにもっといろいろなものを見たいという思いが強くなっていったんです」
「ここでは見えないものが、きっと東京にはたくさんあるんだろうって思ったんです。それで北海道にはない、東京でしか学べないようなことをあえて選択して、親の反対を押し切って東京に出てきたという感じですね」
「私、いちばん楽しかったのはいつかって考えたら中学時代なんですよ」
「いちばん自分に素直で、自由に動くことができたのは中学時代ですね。中学生のころは本当に好きなことしかしてなかったんです」
「高校時代は真っ当だったと思います。でも中学はちょっとダメ。ダメだったんですけど素直だったんですよ、すごく。まあ、周りからめちゃくちゃ怒られてましたね。自分の好きなことをしていたから。うん、そうですね......フフフフフ......」
「ずっとネットに貼りついていたり(笑)。『九州ではこんなことになってるんだ!』とか。知らない世界がインターネットから垣間見れるのが楽しかったんですよね。あとは、友達と公園でずっと語り合ったり」
— そこには、どこの誰でも人生のどこかで一度は経験するであろう
未知の、広い、多様性と可能性に溢れた世界への手伸ばしとそれに伴う軋轢がほの見えます。
狭い世界でおとなしく無難に生きてゆくのを良しとすることができなかった少女は
人一倍常識的で規範的な見識を身に付けつつも、それを超える激しくディープなヴィジョンを垣間見て
このまま「いい子」でいられない、いたくないという荒ぶる心火を何度も感じていたのでしょう。
そしてその最新・最大のチャレンジが乃木坂46加入・活動となり
われわれの知るななみん、乃木坂の毘沙門天ななみんとなったのだと思います。
16/10/20の発表前ながら、上記『BUBKA』のインタヴューには既に
エッセンシャルな予告/表明があると思えます —
「例えば自分の奨学金を全額返済することもそうなんですけど、いままでの人生で自分が抱えてきた負債やマイナス要素を消していくためにここにいるっていう意識がすごく強いんです」
「だから自分がこれから生きていくなかで、人生を楽しむためには中学のころの感覚を取り戻すことが大事なんだろうなって。将来は中学時代のように好きなことを楽しんでやりたい......あのころに対して、そういう憧れの気持ちが強いのかもしれないです」
(以上の抜粋は順不同に、筆者の恣意により)
おそらくは殊に感情面での負債を、不孝や行き違いや涙の借りを報恩を以て返し終えたと感じ得た時、
ななみんには芸能生活以外の手付かずの大世界が再びワクワクの船出先として見えたはず。
知性と気骨と義心のアートで天下を瞠目させた毘沙門天にはサヨナラを。
「裏方」「サポート」の意味するような領域であれ、そうでなかれ
ななみんの以降の進路が「好きなことを楽しんでや」るようなものであることを祈ります。
真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。
我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。
— 『徒然草』第六十段 より
※1
橋本奈々未が卒業「理由って、ないかも」一問一答 - 乃木坂46 : 日刊スポーツ より
— 具体的に、卒業発表について考え始めたのは
橋本 具体的に動いていこうと思ったのは、去年です。
— きっかけは
橋本 きっかけは、ずっと自分の中で考えてはいたんですけど、去年の今ごろ、母親からの手紙で、「無理しないでね」みたいな、すごい長い手紙が初めて届いたんですね。何の前触れもなく。それでなんとなく、そろそろなのかもしれないなと思いました。
※2
— 世の中には、自分はきっと将来しあわせになれるんだと思って人生に期待している女の子がたくさんいると思うんです。でも、お二人は諦念に満ちているというか、達観した視点を持っているところが共通していますよね。
(中略)
橋本)私は、夢を見てもいい人って努力をしている人だと思うし、努力をしている人は必然的に夢を見ると思うんですよ。夢と努力は相互関係が成り立つと思っていて。私も昔はたくさん夢があったんです。あれになりたい、これになりたい、って。こんなに選択肢がたくさんある!と思ってたんですよ。でも、だんだん年を重ねていくにつれて、それが少しずつ減っていって......。でも、飛鳥はまだ若いから、これから先、何か夢中になれるものとか努力したいって思えるものに出会って、将来に期待をしてほしいなって。夢を見てほしい。
※3
「小さい頃は、あれになりたい、これになりたいという夢がたくさんありましたね。最初は公務員で、小学生のときは弁護士になろうと思っていました。中学のときは漠然といい大学に入りたくて、高校で色々な道が開けて、様々な選択肢がある中から、自分で上京したい、美術大学に行きたいと選んで。昔は選択肢が多かったけど、今は年齢もあるし、顔と名前が世の中に出るお仕事をしているので、そこまで自由が利かない。もう後戻りできない部分もあるんですよね。」
「かつての夢は何一つとしてかなっていない。でも、今もう一度そのときに戻ってやり直したいかというと、そこまでのこだわりもない。だからこの先、新しく何かをやりたいということが、きっとまた見つかるはずだと思ってやっています。」
